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愛とか、恋とか

 母からテキストメッセージが届いた。そこには「卒業することにしました」と書いてあった。それを読んで、わたしは首を傾げた。母がなにか学校とか、そのようなものに通っていた記憶がなかったからだ。わたしを産むだいぶ前に高校を卒業して、それ以来なにかに入学したりはしていないはずだ。入学してなきゃ、卒業もできない。とはいえ、わたしが大学に入って以来、それほど頻繁に帰省しているわけでもないし、電話だってほとんどしない。もしかしたら、なにか資格の学校に入っていたとか、そういうことだろうか?
「なにから?」と、わたしは返信した。すると。
「この支配からの」とだけ返ってきた。
 母の訳が分からないのは毎度のことで、長年この母の娘をやっているとたいていのことには動じない。きっと何か元ネタがあるのだろう、と検索すると、昔の歌の歌詞であることがわかった。
「盗んだバイクで走り出すの?」
「バイクは盗んだことない」
「バイクは?」
「自転車なら」
「盗んだの?」
「うん」
 なんてことだろう。わたしは目眩を催した。まさか自分が犯罪者の娘だとは思いもしなかった。
「いつ?」
「ずっと昔よ。ずーっと昔」
 まだ若い母が自転車を盗むさまを想像した。まったく。なんてどうしようもない子。もう時効であることを祈ろう。
 自転車泥棒のことがあまりに衝撃的で、卒業云々のことが完全に忘れられていたのだけど、繰り返しになるけど、母のわけのわからないのは今に始まったことではないし、長年その娘として、それに振り回されてきたわたしとしては、放って置くのが得策だと判断して、放って置くことにした。
 すると、数日後にまたテキストメッセージが送られてきた。
「離婚しました」
 わたしはそれを見ると、すぐさま母に電話した。
「離婚したって、誰と?」と、わたしは慌てふためいて尋ねた。
「誰と?って決まってるじゃない」
「お父さん?」
「そう、あの金髪豚野郎」
 確かにお父さんは金髪だし、太ってるけど、どうして?お父さんは誰かを支配するような、そういう感じの人じゃない。金髪だけど。
「なんで、急に?」
「急にって」と、母はのんびりと答える。「こないだ言っておいたじゃない」
「なにを?」と、首を傾げるわたし。「離婚するなんて、一言も聞いてない」聞いていれば、きっとそうならないようになにかしら手を打ったはずだ。
「卒業するって、言ったでしょ?」
 卒業?と、もしもマンガだったら、わたしの頭の上にクエッションマークが浮かんだだろう。なんのことだろうと、しばらく考えた。
「あ!」
「ね」
「あれ、そういう意味だったの?」
「他にどういう意味が?」
「いや、それならそうとハッキリ言ってよ。離婚するって」
「言ったら?」
「止めてた」
「どうして?」
 どうしてと言われると、どうしてかはわからない。でも、なんとなく両親が離婚してほしくないような気もする。でも、それはわたしのエゴなのかもしれない。わたしもそれなりに大人で、自立しているのだから、父と母が離婚しようがこれと言って影響はないのだ。
「でも、どうして?」とだけ、わたしは言った。
「あんた」と、母はため息交じりに言った。「恋人がいたことないでしょ?」
「は?」
「愛とか、恋とか、そういうのがまだわかってないんだね」
「え?」
「忙しいから、切るね。じゃあ、また」と、母は勝手に電話を切る。ホント、勝手だ。
 とはいえ、わたしの方もわたしの方でなかなかに忙しかった。わたしはわたしで、愛とか、恋とかがあるわけで、それはなんだかちょっと、とても複雑で、もしもそれを完璧に説明しようと思うと、わたしの人生三回分ぐらいの時間がかかるので説明はしない。
 母の推測通り、わたしに恋人がいたことはなかった。でも、愛とか、恋とかと無縁だったわけではない。と、思う。
 ジタバタしたり、のたうち回ったり、怒ったり、泣いたり、ときめいたり、なんだかジェットコースターみたいな日々を、わたしは送っていて、父と母のことは完全に二の次、三の次だった。ふたりがどうしているのかわからないまま、時は過ぎていった。
 そして、また母からテキストメッセージが届いた。
「結婚しました」
 わたしはすぐに母に電話した。
「結婚したって、誰と?」
 母がわざわざフルネームで、しかも「さん」づけで口にした名前は聞き覚えがあった。
「お父さんじゃん」
「うん」
「いったい、どういうことなの?」
「あんたにはまだわからないのね」と、母はため息交じりで言った。「愛とか、恋とかのことが」


No.478


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