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 父の趣味は日曜大工だったから、我が家の家具はほとんどが父の手によるものだった。素人仕事なものだから、よく壊れてぼくたち家族は辟易していたのだけれど、父は自分で作ったものだからすぐに直せる、売っているものではこうはいかない、とか言って誇らしげだった。たぶん、既製品ならそう簡単には壊れたりしないのではないかとぼくたち家族は思っていたのだけれど。
 ある時、父が作ったのは犬小屋だった。ぼくの家では犬を飼っていなかった。ぼくはそれ以前から犬が飼いたくてしかたがなくて、それを母に訴えていたのだけれど、母には幼い頃に犬に咬まれた経験があったから、大の犬嫌いで許しが出ることはなかった。だからぼくは友達が飼っていた犬の散歩をさせてもらってそのやり場のない欲求を満たしたりしていたのだ。
 父が犬小屋を作ったのを見て、ぼくは狂喜した。ついにぼくの念願叶って犬を飼わせてもらえるのだと思ったのだ。犬小屋を作る理由は、犬を飼うからに違いない。
 ところが、犬小屋が完成してから待てど暮らせど犬のやって来る気配はない。父の作った、立派、とは言いづらいかもしれないが、とにかく中に住むことが不可能ではない犬小屋はいつまでたっても空き家のままだ。しびれを切らしてぼくは父に尋ねた。
「いつになったら犬はくるの?」
 父は不思議そうな顔付きでぼくを見ていた。まるで知らない言語で話し掛けられた人みたいだった。質問の意味どころか、なにを言われているのかわからないといった様子だ。
「犬って」としばらくして父は言った。「いったい何のことだ?」
「だって」とぼくは言った。「犬小屋を作ったってことは、犬を飼うってことでしょ?」
 すると父は声を上げて笑った。それこそ大笑いだ。しばらく呼吸困難になっていたほとだ。ぼくはそれがなんだかとても不愉快だった。
「なんで笑うの?」
「お前が勘違いしているからさ」父は答えた。
「勘違い?」
「別に犬を飼うから犬小屋を作ったんじゃない。余った材料が犬小屋を作るのにちょうど良かったから犬小屋を作ったんだよ」
 今度は、ぼくが異邦人になる番だった。その答えの意味がわからないどころか、なにか根本的なところでわかりあえないなにかを感じた。実際、ぼくには父の言葉が理解できなかった。犬を飼うために犬小屋を作るのでなくて、材料があったから作るなんて、そんな思考はぼくには理解できなかった。理解できないことは納得できないのが人情だろう。ぼくは父のその言葉を聞いた後にも、犬が我が家にやって来るのではないかという期待を持ち続けていたのだが、結局それは叶えられることなく、ぼくはその間にも着実に成長し、家を出て都会の学校へと行くようになり、狭いワンルームに暮らすようになってしまった。犬を飼うというぼくのささやかな夢は叶わなかったわけで、これからも当分の間叶いそうもない。
 犬小屋はその後も空っぽのまま庭に置いてあって、ぼくが家を出てからもしばらくそれはそうしてあった。帰省のたび、ぼくはその犬小屋を見て、父との会話を思い出し、忌々しい気分になったのだが、たぶん、それは父の製作物の中で、最も長寿のものだったのではないかと思う。

No.270

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