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若者のすべて

 最後の花火が消えて、「終わっちゃったね」と彼女は言った。ぼくは黙ってうなずいた。終わっちゃった。ちょっと感傷的になっていたから、少しでも触れると泣き出してしまいそうだった。柄にもなく。
「夏、終わるね」喧騒から抜け出すと、彼女はそう言った。夏が終わる。夜ふかしのセミが鳴いている。でもそれも、じきに秋の虫たちに取って代わられるだろう。夏は終わるのだ。「あと何回くらい、こうして夏を過ごせるのかな?」
「何歳まで生きるとして?」と、ぼくは言った。「百歳?」
「ご長寿!」と、彼女は笑った。「それだとあと八十回くらいあるね」
「うん」
「でも、八十回しかないのか」
「八十回眠ったら、もう冬だ」
「また眠って眠って、夏になる」
「そうだね」
 高校生らしきカップルの自転車二人乗りがぼくらを追い越して行った。すごく楽しそうにお喋りしながら。ほんの数年前まではぼくもそういう年頃だったというのに、彼らがとても若く思えた。
 しばらくの間、ぼくらは黙って歩いていた。もしかしたら、とぼくは思った。これは手を繋ぐタイミングなんじゃないか?ほんの数十センチ先には彼女がいる。その手が揺れている。それを掴むべきなんじゃないか。そう考え出すと、それが躊躇われた。サンダルが地面に擦れる音だけが響いていた。もう、彼女の家に着く。
 不意に彼女が口を開いた。「いつか、あの頃は良かったなんて思っちゃうのかな?」
 結局、手は繋げなかった。
 その年の冬に、彼女は事故で死んだ。
 問題、彼女はあと何回夏を経験できるでしょうか?正解はゼロ回でした!限りある夏。あれが彼女の最後の夏だった。まさか、あれが最後の夏になるなんて思わなかった。ぼくも、もちろん彼女も。
 冬のはじめから付き合い出したボーイフレンドのバイクの後ろに乗っていて、彼女は事故に遭った。真冬の真夜中、交差点で彼女を後ろに乗せたバイクと、走ってきた車が衝突した。とても不幸な事故だ。エアポケットに落ちてしまったような、ふとした瞬間に起きた事故。もちろん、過失はあるにしても、どちらも責められないような出来事。車の運転手も、バイクのハンドルを握っていたボーイフレンドも、不幸になる事故。そして、言うまでもなく死んでしまった彼女を不幸にした事故。そして、脇役ですらない、登場人物ですらないぼくも不幸だ。
 彼女のボーイフレンドは一命をとりとめたらしいけど、彼女の葬式には来なかった。たぶん、ひどいケガをしていたからだろう。
 彼女がいなくなってしまっても、日々は過ぎていく。淡々と、とも言えるくらい、あっけなく。過ぎていく時間を呼び止めたくなる。
「もしもし、何か忘れていませんか?」
「え?何を?」
 そうして、忘れ去られていくだろう。「ずっと忘れないよ」と口では言ったとしても、それは遠ざかって行き、その痛みも薄れてしまう。
 また夏が来て、たぶん花火が上がることもあるだろう。もしかしたら、いつかぼくはぼくのガールフレンドとそれを見上げるのかもしれない。手を握るだろうか?握るかもしれない。あまりにも多くの物事が遠ざかり、忘れられてしまうだろう。
 ガールフレンドはぼくに尋ねるだろう。「どうしたの?」
 ぼくは答えるだろう。「いや、なんでもないんだ」
 あれは彼女の見た最後の花火だった。
「手を繋いでおけばよかったな」
 また夏が来る。

No.245

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