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ラブソング

 その歌をぼくが初めて耳にしたのは、何気なくかけていたカーラジオ、夏休みで、ぼくはぼんやりと前を走る車のナンバープレートを見ていて、助手席の彼女は入道雲を見ていた。
 これといった予定はなかった。ぼくらは毎日を無為に過ごしていた。何かが起こらないものかという期待はしながら、その何かを自分で起こそうとはしていなかった。何か面白いことないかな、が口癖、そんな夏休み。それでも、希望がなかったわけではない。ぼくは自分の前に漠然とした希望を持っていた。何の根拠もない希望だ。そんな希望を抱けるくらい、愚かであり、それはつまり若いということなのだろう。彼女がどう思っていたのかをぼくは知らない。聞かなかったのか、聞けなかったのか、聞こうとも思わなかったのか。話すべきことは別にあり、話したいこともあったし、大事な話はしたくなかった。ぼくと同じ年齢ではあったけれど、ぼくよりも大人びていた彼女だから、きっともう少しはなにかしらを考えていたことだろう。おそらく。
 ラジオから流れていたその歌は、安っぽいラブソングだった。どこにでもあるような、掃いて捨てられるラブソング。大量生産大量消費を宗旨とするこの社会に溢れかえり、そして忘れられるような曲。実際、それはそんな具合に忘れられることになる。名曲でもなんでもない。デビューしたてのシンガーソングライターの書いた曲だった。もちろん、作った本人には切実な思いや願いが込められた歌だったかもしれない。それはわからないけれど。
 ぼくはその曲に心を打たれた。そんな安っぽいラブソングに。ぼくはその後もその歌手を少し追ったのだけれど、結局鳴かず飛ばずのまま消えてしまった。
「いい歌だね」ぼくは言った。
「そうだね」彼女はそう言ったけれど、本心はわからない。
 信号が変わり、前の車が動き始めると、ぼくはアクセルを踏んだ。どこへ向かっていたのかは覚えていない。
 あれから、少なくない時間が流れた。あの頃のぼくの持っていなかったものを、今のぼくは沢山持っている。良くも悪くも、と言う他ない。良くも悪くも。
 もしかしたら、ぼくが得たものを、あの頃のぼくは羨むかもしれない。いや、失ったものを嘆くだろうか。蔑むだろうか。失ったもののいくらか、いや、ほとんどは、ぼくが自分でなげうったものだ。それの大切さを忘れていたわけではない。何の言い訳もできないが、気付いたらそうなっていたのだ。あの頃のぼくなら、それを言い訳だと糾弾するだろう。それが若さと言うものなのだろう。
 車でラジオをかけていると、その曲がかかった。秋なのにぽかぽかとした気持ちの良い陽気だった。おそらく、誰かがリクエストしたのだろう。一瞬、どんな人がその曲をリクエストしたのか、思いを巡らせた。ぼくの知らないどこかに、同じ曲に心を打たれたであろう人がいるというのはなんだか少し不思議な気分がした。ぼくらはお互い見ず知らずなのに、その歌で繋がっている。ほんの些細な、繋がりとも言えないような繋がりだけど。改めてその曲を聴いてみて、何年かの年月を経ても、やっぱり安っぽいラブソングだった。
 今のぼくなら、そんなラブソングは安っぽいラブソングだと馬鹿にするだろうし、そんな歌手なんて気にも留めないだろう。そんなことを思って、ぼくは自分の失ったものを理解した。
 助手席には誰もいない。それがなぜなのか、ぼくは知っているけど、理解はしていない。
 涙は流さない。自分を憐れむほど、ぼくは無神経ではないのだ。

No.362

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