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翼を授ける

 降っているのか、降っていないのかわからないような雨の日が続いた。傘を持って出るべきか悩むような細かい雨で、持たないで出ると決まって雨脚が強くなるような雨だった。雨脚が弱まったかと思って油断すると、目に見えない雨で服がぐっしょりと濡れた。人々は長らく太陽の光を目にしない日々を送った。どんよりとした空の下では気分まで曇りがちになるようで、人々は誰も彼も冴えない顔で過ごした。もしかしたら、もう二度と太陽を見ることはないのではないかという気分にすらなっていた。
「暗い顔だね」
「君こそ暗い顔じゃないか」
「雨だね」
「ああ、イヤになっちゃうよ」
 こんな会話がいたるところで交わされた。
 そしてついに、久しぶりに晴れ渡った日、待ち望んでいた太陽との再開、人々は少しギクシャクした。夏休み明けの、同級生との再会の、あの感じ。人々は太陽とどんな風に付き合っていたのかを忘れかけていたのだ。長靴、雨合羽、そういったものの着心地の方が良くなっていたくらい。普通の短靴は足首がいやに涼しいし、傘を持たずに外出するのは何か忘れているような気がしてむしろ違和感があった。雨具無しの普通の格好で、空を見上げ、太陽の眩しさに目を細める。すぐに人々はその温かさを思い出した。慣れ親しんだ温かさ。人々は待ち望んでいた幸福を享受した。
 しかし、それも束の間、長い雨に晒されていた物に、何か白い、羽根のようなものがついているのに人々は気付いた。それは紛れもなく羽根だった。鳥の羽根のようである。それが雨に晒されていたものすべてに付いているのだ。雨ざらしだった自転車、出しっぱなしだったバスケットボール、積み上げれれたままだった古タイヤ。その羽根は、新芽のように育った。一枚だったものが、二枚、三枚と増え、あっという間に立派な翼になった。雨に晒された物全て、一切の例外無く、車にポスト、信号機、木々、野良犬、果ては家にまで。ありとあらゆる物に翼が生えた。人々は唖然としてそれを眺めた。それは端的に言って異様な光景だった。そしてそれらは羽ばたき始めた。最初はバタバタと不器用に、しかし、少しずつ要領を得たのか、次第に確実に風を掴むようになった。ついにはそれらは宙にふわりと舞い上がり、しばらくその場でバッサバッサと羽ばたくと、力を込めて上昇し、声を出す間も無いくらいにあっと言う間に飛び去ってしまった。ありとあらゆる物が、どこか、青空の果てに向かって。
 当然、人々は慌てふためいた。自分の車や家が飛び去ってしまっては大事だ。どうにか翼の生えた物を捕まえようとしたが、手が届きそうになるとそれらはバタバタと翼で空を叩き、飛び立ち、あざ笑うように手の届かない場所へ逃げてしまった。そして、二度と戻って来ることはなかった。
 ある人は幸福を見つけたが、その幸福もまた雨ざらしになっていたらしく、それにも翼が生えていて、物音に気付いたそれは、天高く舞い上がり、飛んで行ってしまったらしい。そして、その人は二度とそれを見ることはなかった。

No.384


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