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君がどんなに間違ってても、わたしは君を肯定する

 息子の小学校から着信があると心臓が止まるんじゃないかといつも思う。いつかきっと本当に止まるだろう。もう二度とこんなことは起こらないでほしいと、何度思ったことだろう。そして、それが何度目であろうとも心臓の止まる思いがする。また呼び出しだ。息子がなにか問題を起したのだろう。それが何度目であろうともため息は出る。
「はあ」そして、電話に出て、電話を切り、またため息。「はあ」
 その姿を見ただけで、同僚たちもすべてを察するようになってしまった。憐れみと呆れの入り混じった視線。
「すいません」と、頭を下げながら早退するのだけれど、視線は痛い。
 学校に着き、職員室に入るなりまた頭を下げる。「すいません」自分の頭が下げるためだけについているのではないかと思えてくる。
 息子は、学校で喧嘩をしたのだという。本日はその怪我をさせた子と、その親御さんも同席です。わたしはため息をこらえる。「すいませんでした」視線は痛い。今後の対策、治療費のこと、謝罪、謝罪、謝罪。事情を聞くと、言い訳も、責任転嫁もできないくらい完全に息子が悪い。もちろん、息子には息子の言い分があるのだろうけれど、息子はまったく口を開かない。突き刺さるような視線。「こんな子は学校から追い出してちょうだい」とか、そういうことをヒステリックに叫んでもらえれば、こちらとしても八つ当たりのしようがあるのだけれど、怪我をした子も、その母親も、とにかくじっとわたしたちを見ているだけなのだ。まるで、檻の中の不思議な動物の親子でも見ているみたいに。
 結局、最後まで息子は謝らなかった。
 息子が学校に馴染めていないのは明らかだった。友達はなかなかできないようだったし、授業を受けるということにも慣れないようだった。時間が解決するものと、我慢してまったけれど、一向に時間は解決に乗り出す様子はなく、時間がたてばたつほど息子と学校の齟齬は深まり、しょっちゅう喧嘩や、物を壊すなんてことが起きるようになった。他の子とコミュニケーションをとるのが苦手だったし、数字を数えるのも、文字を覚えるのも、言葉も遅かった。両足でなかなかジャンプできなかったし、癇癪を起すと立ち直るのにとても時間がかかった。息子が生まれてから心配しかしていないようにすら思えてくる。まるで心配事を生んでしまったみたいだ。
 わたしとその心配事はトボトボと夕焼けに染まる道を歩く。夕食の匂いが漂ってくる住宅街。晩御飯どうしよう、なんて考えられる程度には、あまりにも繰り返し下げすぎてフリーズしていたわたしの脳も復活してきていた。
「どうして」と、わたしの数歩後ろを歩く息子に、振り返りはしないで尋ねた。「そんなにいつも怒っているの?」
 息子は答えない。スニーカーを引きずるように歩く足音だけがする。わたしは待つ。いつまでも待つ。車がわたしたちの脇を通り過ぎていく。風が起こる。
「どうして」と、息子が呟くように言う。「怒らないでいられるの?」
 わたしは立ち止まり、振り返る。息子がわたしを見上げている。小さくて、華奢な肩。ランドセルが大きく見える。なにかを背負うには小さすぎるけれど、彼は彼なりにいろいろなものをそれに乗せ、日々喘いでいるのだろう。わたしは息子に歩み寄り、ランドセルを取って、持ってやる。
「君が完全に悪くても」と、わたしは言う。「君がどんなに間違ってても、わたしは君を肯定するから」
 息子はきょとんとしていた。「こうていって?」
 わたしは笑いを漏らす。「味方だよってこと」
 息子はわたしをしばらくじっと見て、そして顔をそらした。
 茜色に染まる道を、わたしたちは歩いていた。


No.542


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