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疲労困憊

職場に疲労計測器が導入されることになった。
「過労死されちゃたまらんからね」と経営者はニコニコしながら言った。「これで疲れ具合を測って、疲れがたまっているようなら有無を言わさず休んでもらうからな」そしてウインク。「どんなに働きたいと言ってもな」
 我々、つまり雇われている人間たちはクタクタに疲れきっていた。連日の激務のせいだ。人手は足りず、しかし仕事は多い。疲労から些細なミスが起き、疲れているせいでそれがやたら頭に来るから言葉もきつくなる。当然人間関係もギクシャクしだして、職場に行くこと自体が苦痛になる。いや、朝起きることすら苦痛だ。家を出る前から早く帰りたいと願うようになっている。我々には休息が必要だった。少なくとも我々はそう感じていた。もとい、我々は仲が悪いから、同僚の気持ちを忖度したりしないし、どう感じているかに思いを巡らすこともないし、どう思っていたところで知ったことかだし、そもそも彼らが感情を持つ生物であるという観念すらとうに消え失せているので、正確を期するなら、少なくともわたしはそう感じていた、ということになる。わたしはこう感じていた、我々には休息が必要だ。いや、少なくともわたしには休息が必要だ。他の連中はどうでもいいから、わたしには休息が必要だ。
 導入された疲労計測器は当然のことながらすぐに使われた。誰もがこぞってそれを使おうとした。誰もが自分の疲労に自信があり、計測すればとんでもない数値が出て、もしかしたら世界記録が出るのではないか、そこまでいかなくとも、すぐにでも家に帰らしてもらえると思ったからだ。ところが、誰が測っても、計測器の針は緑色の部分を出ない。緑は安全を意味する。疲労など溜まっていないということを意味する。絶対に赤色の部分まで、いや、針が振り切れるのではないかと思っていたわたしの疲労もまた、計測器で測るとほんの些細なものでしかなかった。
「納得できない!」と誰からともなく声を上げた。「これはきっと経営者が仕組んだのに違いない。数値が低く出るように細工がしてあるんだ!」
「そうだ!」
「そうに違いない!」
 我々は初めて意見を同じにした。我々は初めて我々と自分たちのことを呼んでも居心地の悪い気がしないようになったのだ。我々は団結した。我々は仲間だった。我々は抗議することにした。
「これはどういうことだ?」我々は経営者に詰め寄った。
「どういうことだ?とは、どういうことだ?」経営者は葉巻を燻らせながら言った。「お前たちは疲れていないのだろう。さっさと持ち場に戻れ。仕事をサボるんじゃない」
「おれはもっと疲れている!」我々の中の一人がそう言った。「こんな機械嘘っぱちだ!おれはもっと疲れてるはずだ!」
「どれくらい?」と経営者。
「それは」と、さきほどまで威勢の良かったそいつは言い淀んだ。「もう、クタクタになるくらいだ」
「それじゃあ、どれくらいなのかさっぱりわからん。お前の主観を聞きたいんじゃない。客観的な答えがほしいんだ」
 我々は計測器を一瞥した。そして、黙り込んだ。
「やれやれ、お前たちのくだらん話に付き合わされてクタクタだ」経営者はそう言うと計測器で自分の疲労を測った。すると針は勢いよく動き、振り切れる寸前になった。「ほらな、さっさと持ち場に戻れ。わたしを休ませてくれよ」
 わたしは自分がひどく疲れているような気がした。それは鉛よりも重い疲労感だ。結局のところ、どう足掻いても無駄なのだ。

No.329

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