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走れ正直者

 人を騙すなんて楽勝さ。要は嘘を嘘だと思わせなければいいんだ。どうやってだって?自分自身でその嘘を嘘だと思わなきゃいい。簡単なことだろう?しかし、たいていの奴はそれができないわけだ。つい嘘を嘘としてついてしまう。それはバレるに決まってる。まあ、もう無意識で嘘をつくくらいになればいいんだ。そうすると、自分の嘘を自分でも信じられるようになる。そんなことが可能なのかって?確かにおれは嘘つきの詐欺師さ、そりゃ信じられないだろう。だが、信じていい。おれは本当のことしか言えなくなったんだ。なぜ稀代の嘘つきがまっとうな正直者になったかって?よろしい、これからその事情を話そう。
 とにかく、おれは多くの人間を騙してきた。みんなコロッと騙されたよ。簡単に金や物をおれに差し出した。場合によっては心すら。おれには罪悪感なんて一欠片もなかった。罪悪感なんてのがあったら騙すことなんてできない。騙そうとしない、というわけじゃなく、相手が騙されないだろう。そもそも、おれは自分すら完璧に騙してたわけだから、罪悪感の持ちようがないわけだ。
 そんなある日、おれはある男に出会った。なんでもそいつはおれの願いを叶えてくれると言う。おれはそいつに言った。「おれのつく嘘を全て真実にしてくれ」こういう場合、もしかしたら何を叶えてもらうかあれこれ悩むのが普通なのかもしれないが、おれには迷いはなかった。なぜそんなことを願ったのか、いま振り返って考えると少し不思議だ。なにせおれの嘘は完璧で、それが嘘だろうが真実だろうが、実際上の関係はなかったのだから。矛盾するかもしれないが、おれは心の片隅で嘘をつくことに罪悪感を覚えていたのかもしれない。おれは自分にまで嘘をつくことで、知らぬ間に心の中に鍵のかかった部屋みたいなものを山ほどこさえていたものだから、自分が何を思っているのかがわからなかったんだ。
 男は言った。「お安いご用だ」そして、そう言うと男は煙みたいに消えた。
 しかし、おれは自分に何の変化も感じなかった。本当に嘘が真実になるのか?騙されたんじゃないか?だが、そんな風に騙して誰が得をする?試しにおれは呟いてみた。「おれは空を飛べる」しかし空なんて飛べるようにならない。騙されたんだ。まあ、別に損をしたわけでもないし、構わないか、そう思った。馬鹿らしくなっておれは笑った。詐欺師のおれが騙されたのもそうだが、最初につく嘘が空を飛べるだって?なんて馬鹿馬鹿しい嘘だ。その響きをもう一度聞きたくて口にしてみた。「おれは空を飛べる」
 ちょうどその時、おれのそばを人が通った。そいつは怪訝そうな顔で振り返っておれを見た。どうやらおれが言ったことが聞こえたらしい。これはたぶん、頭のおかしい奴だと思われたな、と思っていると、みるみる内におれの身体は空に舞い上がった。怪訝そうな顔をしたやつはポカンと口を開けておれを見上げている。願いは叶っていたのだ。どうやら、それは他人に言うことで真実になるらしい。
 それからは夢のような生活さ。学歴を騙れば見知らぬ同級生がわんさと出てくるし、豪邸に住んでいると嘘をつけば豪邸が出てくる。まあ、誰か相手に嘘をつかなきゃならないという制約はあるが、そんなものはなんでもない。全てが思うがままだった。金、名誉、女、全て簡単に手に入った。望めば世界だって手に入っただろう。
 ところが、人生を謳歌していたおれに、突如横槍が入った。横槍って?誰にでもあるだろう?恋さ。こればっかりはどうにもならなかった。おれはある女に惚れた。地味で、色気もないような女だったが、おれにとっては全てだった。あの手この手で口説いたよ。だけど、女はうんとは言わない。思うがままのはずなのにおかしいと思うだろう?おれもそう思った。だって簡単なはずなんだ、「あの女はおれに惚れてる」そう誰かに言えばいいだけなんだから。そう、簡単なんだが、なぜかそれが言えなかった。そんな嘘は彼女を馬鹿にしてるような気がしたのかもしれない。なにせ、おれは恋をしていた。恋っていうのはそういうものだろう?
 仕方なく、おれは正面から女を口説くしかないわけだ。しかし、自分でも驚いたことに、女を前にすると言葉が出てこない。普段は溢れるように出てくる嘘が。しどろもどろで、もがくように言葉を捻り出して、どうにか気を惹こうと四苦八苦さ。それでも女は落ちない。どうもおれの言動やらなんやらを疑っているらしい。女が求めるものはひとつだけ。誠実であること。まあ、確かにその時のおれは派手な生活をしていたし、仕方ないかもしれない。そこでおれは言った。
「ぼくは世界一誠実な男です。嘘じゃない。誰よりも、正直者です。信じてください」
 必死だったからついそんなことを口走った。確かに嘘だが、嘘をつくつもりはなかった。ただ、必死だったんだ。
 そして、これがその瞬間だ。おれが世界一の正直者になった瞬間。おれの嘘は真実になり、おれは嘘のつけない、世界一の正直者になったわけだ。そして、それまでついてきた嘘も御破算、無かったことになった。おれが嘘をついて得た全ては霧のように消えてしまったってわけだ。
 さて、これでおれが嘘をつけない理由がわかったろう?女とはどうなったかって?それは、秘密さ。


No.310

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