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望むものならなんでも

 世の親の例に漏れず、父も親バカでした。それはもう、目に入れても痛くないというくらい可愛がってくれましたし、悪く言えば甘やかされて育てられました。もちろん、愛情を注がれたことには感謝しています。その点、私は実に幸福な人間だと思います。私の不幸は、父の財力があまりにもありすぎたこと、いえ、それも幸福なのかもしれません。それが不幸だと嘆くのは、それこそあまりにも贅沢過ぎます。不幸は私が凡庸な人間であること、その一点なのでしょう。そして、私の凡庸さと父の財力の二つが結び付いた時、私の不幸は姿を現すのです。
 幼いころから、私が欲しがるものを父は片っ端から買い与えました。ある時は、私が欲しがる前に与えるようなこともありましたし。私の欲望、幼い私のそれは欲望と呼ぶべきものでした、それには際限が無く、父の財力にもそれと同じくらい、いや、むしろそれ以上に際限が無いものですから、私の部屋はすぐにもので溢れました。父はそんな私のために邸宅を建ててくれました。そしてそれがまた欲望で溢れると、さらに大きな邸宅が建つという具合。その頃は、それは普通のことで、誰もがそうしていると思っていたものですから、ある意味では私は幸福でも不幸でもなかったのだと思います。今の私から振り返ると、それは幸福だったのだと思います。
 学校に通うようになってからも、私の周囲にいたのは選別をされ、私の友人として相応しいと認められた子供しかいなかったもので、またそう認められるのは大金持ちの子弟に限られていたものですから、私はさして自分の環境が異常だとは気付かぬままに過ごしていました。私は純粋培養で育てられたと言っていいでしょう。
 私はこれと言った挫折を知らずに成長しました。父は私が望んだので、幼い頃から様々な家庭教師をつけてくれていました。そのおかげで、私は人並み以上の知力と体力を身に付けることができていたので、同級生たちには一目置かれるくらいでしたし、私の力ではどうすることもできないような躓きの石があれば、父が如才無くそれを取り除いておいてくれたからです。もちろん、その頃はそんなこと想像だにせず、全ては自分の実力と強運に帰せるものだと考えていました。思ってみれば呑気なものですが。
 そんなある日、私は学校の図書室で一冊の詩集に出会いました。それは運命的な出会いであったと言って過言ではないと思います。なにせ、それで私の人生は一変してしまったのですから。一瞥すると、どの詩も生活の辛さや、病苦、迫り来る死の影を描いた、暗い雰囲気を漂わせたものでした。しかし、そこには一条の光が確かに射しているのです。私の魂は震え始めました。それは生まれて初めて感じるものでした。月並みですが、生きる、と言うことを目の当たりにしたのだと思います。作者は貧困の中に生まれ、詩人になったものの認められず、若くして死んでいました。彼が死んだ後、ようやっと彼の詩は認められたのです。私は今まで見たことのない世界に憧れました。今まで考えたこともない生き方に恋焦がれました。そして私は詩人になることを決意しました。来る日も来る日も詩を書き続けたため、学校の勉強は疎かになり、徐々に成績は下降線を描く有り様ですが、私はちっともそんなことには頓着しませんでした。学校がなんになるでしょう。私は詩を書くこと以外考えられなかったのです。詩にとりつかれといたのかもしれません。
 ところが、私の情熱とは裏腹に、私の詩の才能は芳しいものではなく、まあ贔屓目に見ても二流止まりというところです。出来るのは血の通わないような詩ばかり。魂が震えるようなことはありません。そんな私に、詩集の出版の話が来たのですから、これは裏で何かあるな、とさすがに呑気な私でも勘づきます。父の力が働いたのでしょう。出版されるだけならまだしも、私の詩集は爆発的に売れました。本が羽ばたいて飛んで行くようでした。これにも間違いなく父の力が関与している、そう思いました。私は何度も父にそんな真似はやめてくれと懇願しました。しかし、父はシラを切るばかりで埒があきません。私は詩を書くのをやめました。私が望んだのは、驚異的な売上の詩集を出版することではなく、心を揺さぶる詩を、それがたとえ認められなくとも、書くことだったのです。しかし、私の凡庸な才能ではそれは叶わぬ夢であるのが、骨の髄までわかったのです。それなのに、私の詩集は世に出てしまいました。嬉しくないわけではないですが、満足はできません。これは贅沢な悩みだろうとは思います。しかし、不幸の形は人それぞれです。
 そして、私はこの先何をしても成功し続けることでしょう。その成功は私を決して満足させないにしても。問題は、成功とは、満足とは何かなのかもしれません。
 もし、私が死んでしまいたいと言ったら、父はどうするでしょう。もしかしたら、速やかに、苦しみなく死ねる薬を買ってくれるかもしれません。
 父は私を愛しています。もちろん、私も父を愛しています。

No.239

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