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Q.E.D


 悩みの無い男がいた。男にあるのは解決すべき問題のみであり、それは解決されるまでには紆余曲折があり、多少時間がかかることもありうるが、それは確実に解決されることなのである。 そこに至るまでに、苦難はあるかもしれないが、それは悩みとは違う。男にとってはそれはむしろ喜びですらあった。解決までの糸口を探し、その小道を慎重に歩いていく。もしかしたら間違った道に迷い込んだのではないかという疑念と闘いながら。
 男は数学者だった。
 問題が解決されるのは数百年後ということもありうるが、しかしながら、確実に解決される、と男は思っていた。どんな問題も。それもエレガントな方法で。
「ねえ」と男の妻が男に話し掛ける。男は朝食を摂りながら新聞を読んでいる。「ちょっと、ちゃんと聞いてください」
「ふむ」と男は上の空で答える。男の頭は新聞のクロスワードパズルで一杯なのだ。
「もう」と男の妻は顔をしかめる。「私、お義母さまのことでとても悩んでるんですよ」
「ああ、『ダイオウイカ』だ」男はクロスワードパズルが苦手だ。言葉というあやふやで、頼りないものを扱うのを、男は苦手にしていた。だからこそ、男はそれが好きだ。 男は苦難を好んだ。そういう性癖なのだ。
「え?」
「いや、なんでもない」男はコーヒーを啜る。「で、母さんがどうしたって?どんな問題があるんだ?」
 男は自分がこんな質問をしたことを少し後悔した。男にしては珍しいことである。男は基本的に後悔しない。全ての行動は自分で選びとったものである。それならば、後悔などない、というのが男の信念だからである。ところがこの時ばかりは違った。男の予想を遥かに越える量の愚痴が妻の口から溢れ出してきたのである。男はそれに溺れそうになりながら、どうにか妻をなだめすかし、自分から母親に言っておくということでどうにか妻を落ち着かせた。男にとって、これは一つの問題であって、それには解決があるはずなのだ。
「ぼくが解決しよう」
「あのね」と男の妻は言う。「みんながみんなあなたみたいに論理的にものを考えるわけじゃないんですよ。特にお義母さまときたら」
 かくして男は母親のもとへ向かった。
「あら、わたしの可愛い坊や」と男の母親は男を迎える。多くの人々にとってはお腹のポッコリ出たおじさんでも、母親にとっては可愛い我が子であり、幼い頃の面影でしか男を見ていない。「いったいどうしたの?まあいいわ、部屋に入ってレモネードでもおあがり」
 というわけで、部屋に招じ入れられた男は、レモネードを飲みながら母親に妻の不満を伝え、改善案を幾つか提案した。男は母親の表情が曇っていくのに気が付いた。
「そんなこと言ったってね」と母親の話が始まる。「あの嫁ときたら」
 男は覚悟を決めた。この展開は一度経験していたからだ。そう、妻の愚痴の時と同じ展開だ。母親の口からは止めどなく男の妻に対する不満が溢れ出てくる。男はまたそれに溺れそうになりながらも、どうにかなだめすかし、自分から妻に話をするということで母親を落ち着かせた。
「あなたからちゃんと言ってちょうだいよ」
 男はとぼとぼと家に帰った。妻が男を出迎える。
「どうでした?お義母さまにはちゃんと言ってくれました?」
「とりあえず、問題は解決したさ」
「まあ、良かった」と妻は晴れ晴れとした顔をした。
「この問題は解決できないということが証明された。これでこの問題は解決だ」と男は呟き、ため息をついた。




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