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仇討ち

 父上が殺された時、弟はまだ乳飲み子であり、物心つく前だったので、あの男の、あの瞬間の、あの目を見たのはこの世でわたしだけなのでございます。それを見たもうひとりの人間である父は、その次の瞬間、この世の人ではなくなっていたのですから。憎き仇敵の、あの男の、その一太刀で。わたしと弟の目の前で、父上を斬り殺したあの男。
 父上は決してあの男に劣る剣士ではございませんでした。決して、断じて。実際、あの勝負において、父上は終始あの男を圧倒していたのでございます。力も、技も、心も、父上が勝っていたのです。それが敗れ去ったのは、父上の持っていた優しい心根と、あの男が卑怯な手を使ったからに違いありません。あの目、非情で、残忍な目。人を虫けらとも思わないような、無慈悲の極み。あの時、あの瞬間から、わたしはあの目を、あの男のあの目を、片時も忘れたことはございませんでした。
 父上亡きあと、わたしは鬼になりました。弟を強い剣士に育て上げることに決めたのでございます。弟は父上に似て心根の優しい性分でした。虫も殺せないような、優しい子なのです。それをわたしは鍛え上げました。毎日毎日剣を振らせました。どんな泣き言にも耳を貸しませんでした。手の皮がめくれ、血が流れようと、構わずに剣を振らせ続けました。一日たりとも休まずに、弟を修行させました。弟は、おそらく生きる喜びをひとつとして知らないでしょう。ほんの些細な笑みを浮かべるような出来事も、弟には無かったに違いありません。わたしの本心としては、弟が不憫でありました。なんと哀れな子でしょう。それもすべてはあの男が悪いのです。あの男が父上を殺したことに、すべては端を発しているのですから。そうして、わたしは心を鬼にし、徹底的に叩き込んだのです。あの男を殺す術を。それだけではございません。
「あなたはあの男を殺すのです」
 わたしは弟にそう言い続けました。弟の心にそう植え付けたのです。あの男に対する憎しみだけが、弟を生かしていたと言っても過言ではいないでしょう。わたしたちの生きる意味は仇討ちの他ありませんでした。あの男の死が、わたしたちの生の始まりとなるはずなのでございました。
 弟はよくわたしに応えてくれました。わたしの課した日々の鍛練に音を上げず、むしろ進んで自らを傷つけたのでこざいます。強くなる。そして、あの男をこの世から葬る。弟にあるのはそのことだけでした。それだけが、弟の生きる意味だったのだと、わたしは思います。
 その過程で、弟は多くの剣士と手合わせをしました。それもまた、わたしの課したことでございます。言いたくはありませんが、あの男は手練です。なにしろ父上を、卑怯な手を使ったとは言え討ったのです。父上亡きいま、おそらくあの男の右に出るものはいないでしょう。それ以外のものと手合わせをして、敗れるようであれば、あの男に敵うはずがありません。しかしながら、弟はここでもわたしの期待に応えてくれました。向かうところ敵無しとはまさにこのこと。連戦連勝、日々血の滲むような鍛練をしてきた弟に敵うものなどいません。
 そしてついに、あの男と相対する時を迎えたのです。
 勝負はあっという間に決しました。あの男は弟に手も足も出なかったのでございます。あとはとどめをさすだけ。
 その時、わたしは弟の目を見たのでございます。それはあの日、父上を殺したあの男の目と同じ目なのでございました。残忍で、非情な、あの目。
 それを見て、わたしは悟ったのでございます。わたしは弟をあの男と同じにしてしまったのだと。わたしは自分の罪深さに身震いしました。あれほど憎んだものと同じものを、自らの手で作り出していたのでございます。しかし、本当の理解はその先にありました。その目を見て、わたしは理解したのでございます。わたしは、あの男の、あの目を求めていたのです。それh熱烈な渇望であったと申し上げましょう。いまとなっては、それを憚る理由もございません。あるいは、それが愛と呼べるならば、愛と呼ぶべきなのでしょう。わたしはあの目を愛していたのです。残忍で、非情で、無慈悲な、あの目。恐るべきことに。そして、その目を見たいがために、わたしは弟を鍛えていたのに違いありませんでした。
「やめて」わたしは言いました。「もう勝負はついているでしょう」
 弟は首を傾げました。「姉上から教わったのですよ。勝負の時には情けをかけるなと。それに、こいつは憎き仇敵。殺さなければなりません」
 弟が剣を振り上げました。わたしは咄嗟にあの男の前に飛び出したのでございます。一閃。
 わたしは太刀に真っ二つにされたのでございます。しかしながら、それこそがわたしにとっての救いなのでございます。


No.454


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