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はつこい

 花咲く話は恋の話、それも初恋の話とかで、思春期の頃には、言葉を濁して適当な憧れの男子のでっち上げ話をしたものだけど、ちょっと歳をとってみると、別に恥ずかしがることもなく話すことができるようになったように思う。
 わたしの初恋の相手は同級生の女の子だ。ちなみに初キスもその子。まだ、ふたりともほんの幼い子どもの頃の話。
 でも、わたしは同性愛者とかではないと思う。それ以降、お付き合いをしたのはみんな男の人で、たぶんこれからもそうじゃないかと思う。別にそれに違和感を覚えたりはしていないから。
 わたしとその子、初恋のその子とは同級生だった。彼女は勉強はあんまりできなかったけど、とにかく足が速かった。徒競走の時はぶっちぎりで一位だし、リレーの選手で、運動会で他の子達を最下位からごぼう抜きにしていった時は本当にかっこよかった。いつも元気で、大きな声で笑って、周りには友だちが絶えなかった。
 もしかしたら、わたしのそれは憧れに近かったのかもしれない。わたしは運動音痴で、目立たない子供だった。だから、自分に無いものを持っている彼女に憧れたのかもしれない。だけど、それだけではあの頃の気持ちを説明し尽くすことはできないように思う。やはりあれは恋だったのだ、と思う。
 わたしは、彼女と目が合うと鼓動が高まって体が揺さぶられるほどだった。まるで電撃に打たれたみたいになった。彼女と話す時はいつもドキドキしていた。話すとなるとなんだかふわふわした感じになって、自分でも何を話しているのかわからなくなった。帰ってから、なんであんなつまんないことを一生懸命話したんだろうと後悔して、彼女に嫌われるんじゃないかと不安になって、そんな風になっている自分を嫌悪した。今となってみれば馬鹿馬鹿しいばかりで、彼女はそんなことたぶん気にも留めなかったし、子どもだからちょっとしたことなんてすぐに忘れてしまっただろう。でも、こちらも子どもだから、そうした自分の一挙手一投足への自意識は嫌になるくらい強くて、実際嫌になっていたのだ。
 そしてなにより、わたしは彼女に恋をしていたのだから。
 わたしが彼女とキスをしたのは、修学旅行の時だった。お決まりの場所の、お決まりの観光地を巡る旅行だった。お決まりのお喋り、でも、その一つひとつが楽しかったのは否定できない。わたしはすごく大衆的なのだ。
 泊まった部屋は大部屋で、わたしたちは恋の話をしたりした。今も昔もすることは変わらない。ひとしきり騒いで、先生が見廻りに来て、慌てて灯りを消して、足音が遠退いていくのを確認して、忍び笑いをした。でも、疲れていたから、そうしているうちに、みんな眠りに落ちていった。部屋が寝息で満たされ始めた。
 わたしは彼女の様子を窺った。彼女も寝息を立てていた。その唇の隙間から、空気の擦れ合う音が聞こえた。わたしはその唇をじっと見詰めた。すると、不思議な力に導かれるように、わたしの唇と彼女の唇が引き合い出した。わたしはちょっとだけそれに抗おうとした。でも、おおむねわたしはその力のなすがままになった。そして、わたしの唇と彼女の唇が触れた。
「それがわたしの初キス」
「それで、どんな感じがした?」
「うーん、なんか、よくわからない。ドキドキしてたけど、すごくあっさりしてて、こんなもんか、って感じ」
「相手は?」
「寝てたのよ。わたしがそうしても、目を覚まさなかった」
 眠り姫みたいに、彼女は眠っていた。わたしのキスで目が覚めなかったのは、わたしが彼女の王子様じゃなかったからだとは思いたくない。

No.338

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