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人違い

 街を歩いていると見知らぬ人に声をかけられた。
「久しぶりじゃないか。元気にしていたか?」
 久しぶりもなにも会ったことがない。初対面だ。こちらがきょとんとしていると不思議そうな顔付きで、
「どうかしたか?」と尋ねられた。
「どうかしたか?と聞かれても」といい淀みながら返した。「わたしはあなたを知らない。人違いでしょう」
「おいおい」とその人は言った。「冗談はよしてくれよ。間違えるわけがない。君だろ?」
 そうしつこく言われたわけだが、こちらとしては見覚えのないことは確かなわけで、頑なにそう主張していると、あちらは苛立ち始め、しまいには掴みかかられた。「なんなんだよ。俺のことが嫌いなのか?だから、他人のふりをしようってのか?」
「やめてくれ」
「おい!」
「どうしました?」
 騒ぎを聞き付けて警官がやって来たのだ。助かった、と思った。これで一件落着するだろう。この頭のおかしいやつを連れていってくれるはずだ。
「こいつが、俺が人違いをしていると言うんだ」とわたしに掴みかかった人は言った。
「人違いなんですよ」とわたしは乞うように警官に言った。常識的な判定が下るはずだ。
「まあまあ」と警官は宥めるように言った。「いったいどういうことなんです?」
 わたしはことの次第を警官に説明した。人違いしている人もそれを聞いている。
「いや、人違いなんかじゃないんだ。こいつは俺の知っているやつなんだよ」
「違う」
「そうだ」
「違うって」
「まあまあ」と警官は間に割って入りわたしに「身分証はありませんか?」と言った。わたしとしては、わたしはわたしであり、誰がなんと言おうとわたしなのであるから、身分証など見せなくとも、わたしがわたしであり、人違いは人違いなのだと胸を張って言えることなのだから、そんな身分証を見せることで自分が自分であることを証明するなどということは不本意極まりないのだけれど、それで問題が解決するなら仕方ない。わたしは身分証を取り出し、警官に差し出した。
「ふむ」と警官は顎を擦る。そして、それを人違いしている人に見せた。
「ああ、これだよ。やっぱりそうだ」と人違いしている人は何度も頷いた。「やっぱり人違いなんかじゃない。俺の知っているのはこいつだ」
「嘘だ」とわたしは言った。「あんたとなんて今まで会ったことがない。適当な嘘をつくな」
「なぜ嘘をつくんです?」と警官は言った。わたしは本当にその通りだと思って頷いたのだけれど、どうやらそれはわたしに対しての問いらしく、耳を疑い、警官をまじまじと見詰めた。
「今、なんて?」
「この人は」と人違いをしている人を示しながら「この身分証の人に声をかけたに間違い無いそうですよ。つまり、あなたがこの身分証の人なら、この人はあなたに声をかけたので間違い無いでしょう」
 頭が痛くなってきた。「でも、わたしはこの人を知らない!」
「でも、この人はこの身分証の人を知っていて、その人に声をかけているんです」と警官は言った。「あなた、誰なんです?」
「わたしはわたしだ!」とわたしは叫んだ。「身分証なんか知ったことか!わたしがわたしだと言うものがわたしで無いはずが無い!誰がなんと言おうとわたしはわたしだ!」
 そう叫ぶと、わたしは卒倒したのだそうだ。気がついた時には、わたしは今いる施設に入れられていた。狂人を収容する施設だ。そこで、わたしはわたしの言うわたしではなく、彼らの言うわたしこそがわたしであるということを学んでいるのだが、いつまで経っても納得できないので、どうもここを出るのはだいぶ先のことになりそうだと思う。



No.187

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