洗いたての未来へ

 彼女が洗濯をしている、ということは彼女は不機嫌、ということだ。彼女は不機嫌になると洗濯をする。浴室の方でゴウンゴウンと洗濯機が唸り声を上げている。逆に、機嫌の良い時は洗濯をしない。洗濯はぼくの役目だ。ゴミ出しと洗濯はぼく、掃除と料理は彼女。最初からそういう役割分担があったわけではないが、それぞれの適性や好みが自然とそういう形を作った。彼女は朝が苦手だからゴミ出しはぼく。ぼくは味音痴だから料理は彼女。そんな具合に。
 彼女が不機嫌になる理由は様々だ。それはぼくが原因である場合もあれば、他の原因で不機嫌だったものをぼくが爆発させることもあった。彼女の不機嫌で被害を被るのはぼくだけである。彼女は、言い方は悪いかもしれないけれど外面がいいから、職場やその他、そとにいるときに不機嫌を露わにすることはない。そういう意味では、彼女の不機嫌にさらされるぼくは特権的立場にいると言えなくもないが、そう誇れるほど気持ちの良いものではない。
 とは言っても、彼女を不機嫌にさせる原因で一番多いのはぼくにまつわる出来事であることは事実だ。トイレの蓋を閉めなかったとか、電気を点けっぱなしにしたとかから、彼女の夢の中でぼくが浮気をしたということまで。
 ぼくは彼女の不機嫌の理由を詮索しないようにしている。ズルいかもしれないが、それはゴタゴタをさらに膨らましてゴタゴタゴタゴタにするのが関の山だし、洗濯を終えれば彼女の機嫌は元通りになるわけだから、あれこれいじり回しても逆効果だ、ということにして自己弁護にしよう。
 洗濯かごに洗濯物を満載して、彼女がベランダに出る。とにかくなんでも洗ってしまう。ぼくの靴下や、彼女のブラジャーはもちろん、シーツ、枕カバー、クッション、テーマパークで買ったぬいぐるみ、うっかりすると、飼い猫まで洗いかねない。それを察してか、彼女が洗濯を始めると猫は姿を消す。どこかに避難しているのだろう。
 ハンガーや洗濯ばさみを駆使し、それらの洗濯物を的確に干していく。あれだけの量を、よくも決められたスペースに収めることができるな、と感心するくらい、彼女は洗濯が上手だ。おそらく、彼女はぼくよりも選択をする適性があるに違いない。ぼくはその姿にしばしば見とれる。彼女がカーテンをサッと開き、窓を開く。日の光を浴びる彼女は太陽の女神のようだ。お世辞じゃなく。開け放たれた窓から、外気が一気に入って来て、部屋の中まで洗われたような気分になる。少しだけ、春の匂いがしたような気がした。思い過ごしかもしれないけれど。
 干し終えると、彼女は手をパンパンと払い、腰に手をあて、干された洗濯物を検分する。まるで芸術家が仕上がった自分の作品をまじまじと眺めるように。ぼくに芸術家の知り合いはいないから、芸術家が本当にそんなことをするのか、確かなことは言えないけれど。
「ごめんよ」と、ぼくは言う。
「何が?」と、彼女は言う。
 そんな具合で、柔軟剤の花の香りは仲直りの匂いだ。ズルいかもしれないけれど。


No.460


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