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党の決定

 夫と離婚することになった。
 わたしと夫の間に離婚をするような理由は見当たらない。わたしも夫も不義を働いていたということもないし、夫がわたしを妻として見られなくなったということも、わたしが夫を夫として感じられなくなったということもない。それならば、なぜ離婚することになったのか。それは党の決定だったからだ。党の決定は絶対だ。言うまでもなく、党の決定であればそれは絶対なのだ。少なくとも、わたしたち夫婦の暮らすここにおいては。
 夫は党でもそれなりの地位にいる人間だ。党に忠誠を誓い、党のために働いてきた。おそらく汚い仕事もこなしたのだろう。おそらく、それは機密事項であり、妻であるわたしにすら口外できないことだったのだろう。その対価が、わたしたち家族の裕福で恵まれた暮らしなのだろう。わたしにはなにもわからないが、そういうものなのだろう。党に逆らうことはできない。もし逆らえば、命がないだろう。党にできないことはない。やろうと思えば、夫がそもそも存在しなかったものとすることでもできる。全ての記録、学生時代の成績表から、勤め人になってからの給与明細、夫の写った写真のその一葉まで、まったく無かったことにしてしまえる。それが党だ。事実、そういう人を何人も知っている。いたのに、いなかったことになった人々。
 わたしの父もまた、党の要職についている。もしもわたしが党に逆らえば、父もその責めを負うことになるだろう。父だけではない。母もだし、兄や弟、祖父母、親類縁者全てが責めを負うことになる。良ければ強制労働、悪ければ極刑か。
 党にできないことはない。党は党にできないことがないということを誇示するために、党はなんでもやるし、そして党が絶対であるということを確実なものとするために、党は絶対であるということを求める。逆らったものは厳罰に処される。なぜなら党は絶対であり、絶対であるためには絶対でなければならないからだ。
 夫は帰ってくるなり言った。「ぼくたちは離婚することになった」
「そう」とわたしは答えた。そうしたことには慣れていた。党が理不尽であることもまた、党が絶対であるために必要なのだ。理不尽であろうが、党の決定は党の決定でありそれが理にかなっているか理不尽かは問題ではない。党の決定であれば、どんなに理不尽であろうとも、それに従わなければならない。なぜなら、党は絶対だからだ。
 それがわかっていても、夫との思い出が走馬灯のようにわたしの眼前を流れていくのだった。党の決定で行った旅行、党の決定で行った遊園地、わたしたちの可愛い子供たちは党の決定で三人だ。事前の党の決定では、二人は男の子だったが、産まれてから党の決定は女の子であった。党の指示で激しい夫婦喧嘩もした。党の指示で夫が浮気したこともあった。わたしはそれを許したのだけれど、それは党の決定だったからだ。党の決定で家を買い、党の決定で犬を飼った。子供たちは猫が飼いたがったが、党の決定は党の決定だ。
「なんで?」とわたしは言った。「そんなのやっぱり理不尽よ。なんでも党に従わなければならないなんて」
「仕方のないことだろう」と夫は唇を噛んだ。「この国で生きていくには、党に従わなければならない。君だってわかっているだろう?」
 わたしたちはさめざめ泣いた。それが党の決定だったからだ。そして、わたしたちの会話も党によって決定されていた。
 そして、わたしたちは離婚した。党の決定だからだ。
 結婚した理由?夫の魅力的な顔立ち?逞しい体つき?温厚な性格?頭脳明晰さ?将来有望な有望株だったから?どれも夫が持っている要素だけれど、どれも違う。それは、党の決定だったから。

No.274

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