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 あるところにとても美しい声で鳴く鶏がいた。その村の人々はその美声で朝を知るのだった。それは幸福な目覚めである。清々しく晴れ渡った日はもちろんのこと、どんより曇った日も、さめざめと雨の降る日も。鶏は、朝を幸福なものにした。人々はその鶏を愛した。
 ところが、その鶏はある男の所有物であった。男は吝嗇であった。鶏を飼うのはひとえにその卵を取るためであった。美声の鶏は雄鶏であったので、男は卵を産まないその鶏は役立たずだと考えた。男にとって、価値のある鶏は卵を産む鶏であり、価値の無い鶏は卵を産まない鶏なのだ。それ以外の尺度を男は持たなかった。役立たずの鶏は潰して肉にするのが男の方針だった。それは美声の鶏に関しても揺るがない。そもそも、男は鶏がどんな声で鳴くのか知らなかった。男は鶏の鳴き声になど興味がなかったからだ。
 人々は男を諌め、その鶏を潰すのを止めさせようとした。しかし、男は人々の言葉に耳を貸さなかった。
「これは俺のものだ。俺のものを俺がどう処分しようと勝手だろう」
 そして、男は鶏の首を捻り、殺し、羽をむしり取り、包丁で捌き、煮て、焼いて、食べた。
「俺の鶏だ。俺が食って悪いか?」男は言った。
 人々は鶏の鳴き声が二度と聞けないことを嘆いたが、男は聞く耳持たず、鶏の肉を貪り食った。すると、しばらくして、男が急に自分の首を押さえた。人々は肉を喉に詰まらせたのだと思った。そして水を差し出してやったが、男は首を横に振るばかりで水を受け取ろうとしない。そして、口をパクパクとさせ、何かを喋ろうとしているが、その喉からは声が出てこないのだ。男は必死で声を出そうと、顔を真っ赤にしながら喘いでいる。顔にも喉にも血管が浮かび上がり、目は飛び出しそうだ。人々はどうすることもできず、男を取り巻いて見ていた。医者が駆けつけたが、医者にも何がなんだかわからないので手の打ちようがない。しばらくすると、男の体の毛がみるみる伸び、鶏の羽になった。それはあっという間に身体中を覆い、気付くと男の頭には鶏冠が、そして、口は嘴になっていた。そして喘いでいた口は、嘴となった口は声を出した。待ち望んだ声であったはずが、それは男の望んだものではなかった。それは鶏の声だった。けたたましい鶏の声だ。人々は耳をふさいだ。男だった鶏は鳴き続けている。それに腹を立てた人が男だった鶏の首を捻り、殺した。


No.580


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