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盗作騒動顛末記

 ある作家の書いた小品が剽窃であるという噂が立った。有名とも言えず、かといって無名とも言えないような、業界の端の方、その際に指先でどうにかこうにかぶら下がっているというような作家の書いたものである。とはいえ、それはちゃんとした商業誌上に発表されたものであることにはある。多くの人の目に留まる可能性を秘めていたものである。そして、それを書いた当の本人はむしろそれを望んでいた。できることであれば、多くの人の目に留まり、できることであれば色よい評価をされ、できることならこれをきっかけに依頼が少しでも多く舞い込むようになり、できることならば業界の真ん中の方、ど真ん中とまではいかなくても、牛丼の大盛りをためらいなく注文できるような、できれば特盛を注文できるような身分になれる程度に自分を有名にしてくれればと思いながら送り出した作品であった。有名にはなった。しかしながらそれは彼の望む形での有名さではなかった。
「確認しますが」と、若い編集者は言った。「本当に盗作ではないんですね?」
「違う」作家は首を横に振った。「断じて違う。そんなもの読んだこともない」
「お読みにはなられました?」
「なにを?」
「盗作したとされる作品です」
「だから、読んだことなんてない。読んだことも無いものを、盗作できないだろう?」
「違います」と、編集者は言いながらカバンを探り、雑誌を取り出した。「この盗作騒動になってからです。読まれました?」
「いや」と、彼は編集者の手にある雑誌をちらりと見る。
「そっくりです。筋も、表現も、ある部分なんて、比喩表現もまったく一緒。これは確かに剽窃だと言われてもおかしくない」
「じゃあ、そっちが盗作したんだろう」
「それはあり得ませんね」と、編集者。
「なぜ?」
「彼女はもう死んでいるんです」
「彼女?」
「あなたが盗作した作品の作者」
 この編集者は彼のことを絶対に「先生」とは呼ばない。いや、この編集者に限らず、彼のことを「先生」と呼ぶ編集者はいない。もしかしたら作家を「先生」などと呼ぶ編集者はいないのかもしれない。彼は作家になることに憧れていた人間だから、編集者から「先生」と呼ばれる作家像が念頭にあり、それでいてひねくれた人間だからそんな古い作家像は否定したく、もし「先生」と呼ばれたら、「ぼくは君の先生なんかじゃないがね」とかなんとか否定をしたいのだが、そもそも「先生」と呼ばれないのであれば否定のしようもない。
「盗作してない」とだけ彼は言った。
「あなたが盗作していないと主張し、世間ではあなたが盗作したとされている作品。それを書いた作者は、あなたの作品が世に出た時にはすでにこの世にいなかったんです。盗作のしようがない」
「むむむ」彼は唸った。「彼女は、その作者は、なぜ?」
「なぜ?」
「その、死んだ理由は」
 編集者は肩をすくめた。「わからないんです」
「わからない?死因が?」
「いえ」と、編集者は首を横に振った。「なぜ彼女が死を選んだのかが、わからないんです」
「選んだ?その作者は、自ら死を選んだのか?」
「そう。その通りです」編集者は大きく頷いた。
 ここまで読むと、編集者は原稿から目を上げた。目を上げ、見たのはすがるような目つきをした作家である。
「で?」と、編集者は作家に言った。「この先どうなるんです?」
「どうなるんです?」作家の声は裏返った。「どうなるか知りたいのはこっちだよ!」
「大きな声を出さないでくださいよ」編集者は顔をしかめた。「知りたいのはこっちだって、作者はあなたでしょう?」
「そうだよ」作家は頷いた。「その通りだ」
「じゃあ、続きはあなたしか知らない」
「むむむ」作家は唸った。
「まさか」編集者は声を潜めた。「これ、盗作ですか?」
「違う!」作家は叫ぶように言った。「断じて違う!」
 なぜなら、と作家は書くだろう。それはまだ世に出ぬものだからだ。世に出ぬものを、剽窃であると指弾できるものはいない。それはおおよそ彼の書いたものとは言えない。それを書いたのは彼女である。
「小説を」と、彼女は言った。「書いているのです」
 野暮ったい女だった。それ以上の印象を催させないような女だ。しかしながら、その評価は彼女の手になる小説を読んだ瞬間に一変した。それは天上の作品、文字のみで構成されたはずのそれには、色があり、香りがあり、音があり、手触りがあった。控え目に言っても傑作であった。
「どうでしょう?」女は伏し目がちに作家に尋ねた。
「むむむ」と、彼は唸った。「悪くないね」悪くない、どころではないのはいかな彼であっても一目瞭然だったが、それを認めるのはなかなかに難しい。同じように文学を志すものであればなおさらである。
「これは、預かっておこう」彼はそう言う。「然るべきところに、わたしから紹介しよう」
「お願いいたします」女はそう言って頭を下げた。「先生だけが頼りです」
 先生、甘美な響き。彼は悪くない心持ちがした。
 女が帰り、彼はひとつ息をついた。机の上に置かれた女の原稿を眺める。文学史を塗り替えるかもしれない傑作。それが自分の手元にある。その喜びは、はじめはそれに立ち会う機会を得たということにあった。そこに偽りはない。しかし、それは次第に、そこに記される名が自分のものであればという、欲望に席を譲った。自分の作品として、それを世に出してしまわないか。その誘惑に屈するのは容易かった。
「問題は」と、彼はひとりごちた。「あの女だ」
 解決策はひとつ。あの女を、この世から消してしまうのだ。
 ここまで読むと、彼は目を上げた。その視線の先には、その原稿を書いた女が彼を見ている。
「どうでしょう?」女は尋ねる。
「うむ」と、作家は言う。


No.521


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