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ロケットに乗って

 世の中を良くしたいという希望を持って科学の道へ進む者も当然いることだろうけれど、彼はそういう感傷的なものとは無縁で、純粋な愛、それは機械に対する愛が、科学の道を彼に歩ませるエンジンであり、燃料であった。
 幼い頃、父親の腕時計を分解し、その持ち主である父親は慌てふためいたのだけれど、彼はまるで手品のようにそれを組み直し、大人たちを驚かせたのを皮切りに、見よう見まねで蒸気機関を作り、図書館の本を読み漁って内燃機関まで完成させた。神童の誉れ高く、その噂は国中に広がるほどだった。幾つかの飛び級で大学に入り、そこを優秀な成績で卒業した。事実、彼は神童であり、天才だった。あるいは人は彼のことを火星人とすら呼んだ。彼のあまりに高性能な頭脳は、人類のものではありえないとさえ思われたのだ。
 彼の動機が純粋な機械に対する愛であっても、彼ほどの才能の持ち主であれば、人類の進歩に軽々と貢献し得ただろうが、残念ながら彼は運が悪かったのかもしれない。
 何が悪かったのかと言えば、それは時代に他ならない。彼の生きたのは、戦火が轟きながら鳴る時代であった。そこらで軍靴の踵が地面を打っていた時代である。当然ながら、彼の頭脳に軍部が目をつけないわけがない。彼のその才能もまた、そうした軍事関係に絡めとられていったのだった。しかしながら、もしも平和な時代に生まれていれば、という「もしも」は彼の脳裏をよぎらない。彼の超高性能な脳の持つ関心は美しい機械を作ることのみであり、それが美しく作動することであり、その帰結として、多くの人が救われるのか、それとも傷付けられるのか、ということは彼の心を惹かないのだった。
 彼の任されたのは新型ミサイルの設計だった。燃料の燃焼、攻撃したい場所へと導く照準機、狙った通りまっすぐ飛ぶための正確な機体。彼は昼夜を忘れてその設計に没頭した。そして、それはついに完成したのだった。その報告を受けた軍の上層部は小躍りして喜んだ。国民向けよ発表としては勇ましいものを流してはいたが、その内実、戦況は劣勢だったからだ。そして、それを一変させる、あるいは大逆転に導くと目されていた新兵器がついに完成したのだ。
「ついにできたか」
「完璧なものができましたよ」
「これで我々は勝利を引き寄せられるだろう。ふっふっふっ、これでやつらの街を破壊しつくしてやるぞ」
「破壊?」
「破壊だよ。このミサイルで破壊してやるのだ」
「そうなると、この美しい機械はどうなるんです?」
「爆発して粉々になるだろうね。大きな戦果になるだろう」
「冗談じゃない!」と彼は叫んだ。「こんなに美しい機械を粉々に?そんなことは絶対に許さないぞ」
 そして、彼はどうにかそのミサイルの発射をやめさせようとありとあらゆる手段を使った。もちろん彼の行動は不興を買い、強制労働へ送ろうという意見すら出たし、実際そうなりかけもしたのだが、彼抜きにミサイルは飛ばせないし、それ以上に彼の今後の研究発明を期待した人間も多かったため、その処遇についてが決定するまでに時間がかかり、そのうちに戦況は絶望的になり、当の軍自体が混乱状態に陥ってしまったため、彼に対する処分が宙ぶらりんになったまま敗戦を迎えた。彼は戦勝国に彼の使っていたミサイル開発スタッフとともに亡命し、そこでロケット開発にたずさわり、人類を月に送った。


No.350

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