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落下してくる不幸

 遠くで爆発音のするたび、世界が震え、防空壕の天井からなにか破片がポロポロと落ちて来ました。生きた心地のしないはずなのに、その現実的な破片が、まだわたしの生きていることを教えてくれているような気がしました。まだ、今のところは。もしそれがわたしたちの頭の上に落ちてきたら、ひとたまりもないでしょう。それでもわたしたちは、その穴蔵に逃げ込み、そこでならば生き残ることが可能だなどと考えていたのです。いえ、誰一人として、そんなことは思っていなかったことでありましょう。それは気休めでしかないのです。偽の薬であると知りながら、それを飲み、偽の薬であっても効くのだと自分に言い聞かせることによって、効能を得るような離れ業。
 わたしは娘を抱き締めていました。わたしの娘。年端もいかない娘。それは抱き締めることで抱き締められるような、ねじれた関係でした。わたしの腕の中の娘が、わたしを慰撫してくれていたのです。口では「大丈夫」だとか「恐くない」と娘に言い聞かせながら、わたしは恐怖におののき、これまでだと観念すべきなのではないかと思い、それでいてしがみついていたのです。生きることに、そして娘にしがみついていました。それに引き換え、娘はといえば、平然としたものでした。まだ幼い子供が、暗く狭い所、暑く、息をするのも苦しいような場所に押し込められて、それでいて泣き声のひとつも上げなければ、震えもしないのです。我が子ながら、いささか不思議な感じがし、感心もしました。もしかしたら、これがこの子の日常であるから、爆弾の降り注ぐのが日常であるから、こうして平然としていられるのかもしれない。そう思うと娘が不憫になりました。どうしてこんなことになってしまったのか。自分の、娘と同じ年頃のことを思い出せば、のんびりとした日々だったのに。どこでどう間違ってこんなことになっているのか。 
 爆発音は断続的に聞こえました。それは近付いて来たかと思うと、また遠ざかって行き、また近付いて来るといった具合でした。指を切った痛みのように。 
 爆発音のするたび、わたしはここではないどこかにそれが落ちてくれたことに感謝しました。もしかしたら、それは口をついて出てさえいたかもしれません。 あるいは、わたしはそれを強く願っていました。それがここでない他の場所に落ちることを。
 その時、娘が不意に顔を上げました。
「ねえ」
「なに?」
「ここでないとこにおちたのは、どこにおちたの?」
「それは」とわたしは口をつぐみました。
「どこ?」娘は無垢な目でわたしを見ていました。
「ここではないどこか、誰か他の人のいるかもしれないところ」 わたしはそう答えました。
 明け方には爆撃は終わったけれど、わたしたちがそれが明け方であるのを知ったのは昼前になってからからでした。あたりが静まり返ってからも、用心してそこから出なかったからです。
 わたしたちの街は、あらかた焼き尽くされてしまっていました。おそらく多くの人が死んだことでしょう。落下してきたそれによって。それはわたしたちの上に落ちてきてもおかしくはなかったけれど、それはわたしたちの上には落ちてこないで、他の誰かのところに落ちたのでしょう。 
 そうして、わたしは生き残りました。

No.256

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