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鱈が鱈でなかったら

 鱈がもし鱈でなかったら、とある日鱈は考えた。もし自分が鱈でなく、鰡であったら、鮫であったら、鯨であったら、鰯であったら、鯛であったら、鯱であったら、鰹であったら、鮭であったら、鯵であったら、鮑であったら、鰻であったら、鯰であったら。 いや、単純に鱈でなかったら。
「なあ」と鱈は仲間の鱈に言った。「もし俺たちが鱈でなかったら、この世界はどうなっていただろう?」
「鱈でなければ、なんなんだ?」と仲間の鱈は逆に尋ねた。「俺たちはなんと呼ばれるんだ?別の、なんたらかんたらって、ややこしい呼び方だったら困るな」
「ふむ」と鱈は考えた。「それはわからん」
「なんだよ、それ」と仲間の鱈は鼻で笑った。「そんなことになったらめんどくさいな。別の名前で呼ばれたら、気づかないかもしれん。まあ、少ししたら慣れるだろうけど。で?」
「で?って?」
「それがどうしたんだったら?」
「いや、いいんだ」鱈はそう言うと尾びれをひとふりし、方向を変えた。そして、年取った鱈のもとへと向かった。その鱈は様々な苦難を乗り越えて来た鱈で、外敵からの逃げ方や、漁師の裏をかく方法など、若い鱈たちはなにか心配事や悩み事があればまず真っ先にその長老鱈に教えを乞うのだった。鱈は長老にまた同じことを尋ねた。
「もしわたしたちが鱈でなかったら、世界はどうなっていたでしょう?」
「ふむ」と長老の鱈は考えた。「わしも若い頃にはよく同じようなことを考えたよ。鱈ではなく、鮫であったなら、鯱であったなら、鯨であったなら、どれだけ生き抜くのが楽だろうかと。しかし、我々は鱈なのだよ。鱈は鱈としてしか生きられない。そういうものだ。そう思って生きたらどうだ?」
「はあ」と鱈は応えたものの、その様子からは釈然としていないのが見て取れたのだろう。長老はさらに先を続けた。
「鱈でなかったら、それは我々が鱈でない世界となったのかもしれないな」
 鱈がそれで納得できたとしたら、それでよかったのだが、残念ながらその答えも鱈を満足させるには足らなかった。
 そこで鱈は貝に聞いた。「もし俺が鱈でなかったら、この世界はどうなっていただろう?」
 貝は答えた。「あんたが鱈でなかったら、まあ鱈の少ない世界になったんじゃないかい?」
「それだけかね?」
「ダメかい?」そう言うと、貝は殻に閉じ籠ってしまったから、鱈はもう問い掛けることはできなかった。
 そこに烏賊が泳いできた。鱈は烏賊にも尋ねてみた。
「もし俺が鱈でなかったら、この世界はどうなっていただろう?」
「まあ、たぶんあんたが鱈だから、あんたは自分が鱈でなかったらなんて考えるんじゃないか?」
「鱈だから、鱈でなかったらと考えられるってことか?」
「いかにも」と烏賊は言うが早いか、墨を吐いて姿を消してしまった。
 それでも鱈はまだ納得できない。そうしてぼんやりして泳いでいると、蛸が真っ赤な顔をして泳いできた。この蛸、気の短いことで有名なのである。
「さっきから聞いてりゃ、タラタラタラタラ、うるさいんだよ!このタコ!」蛸は怒鳴った。
「蛸はお前だ。俺は鱈だ」と鱈は言った。







No.152

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