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死なない男

 その人が自分が不死であることに気付いたのは、流行り病が猛威を振るい、その人の住む村で人がバタバタ死んでいき、棺桶職人が過労死するような中で、彼の最愛の妻も息子と娘も死に、絶望した彼が首を吊った時だった。
 彼の一族は古くから村に住んでいて、その屋敷は立派なもので、丈夫な大黒柱と太い梁を持っていた。一族の人間たちを守ってきた家。しかしながら、その樹形図は彼で途絶えることになるのだ。彼は梁に縄をかけ、足場として使った腰掛けを蹴り、梁を軋ませた。彼の体が揺れるたび、梁はしなった。遠退く意識の中で、彼は安堵の息、実際のところ、首にきつく食い込む縄のために息などできなかったのだが、心の中で安堵の息を漏らした。これで絶望から解放される。生に対して、彼はまったく未練を持っていなかった。そうして、彼を闇が包んだ。彼はそれを死の始まりであると捉えた。そして、穏やかに目を閉じたのだった。
しかし、それは死出の旅路の始まりなどではなく、新たな生、不死者であることを認識しての生の始まりであった。
 どれくらいの時間が経ったのかわからないが、しばらくして、彼は意識を取り戻した。意識を失う前と同じ、梁から縄で吊るされた状態である。体の穴という穴から体液が溢れ出ていた。ズボンは糞尿で汚れている。喉の奥がヒリヒリとする。目が熱い。きっとかなり充血しているのだろう。彼はそんなことを思った。そうして、長いことぶら下がっていたが、死ぬことができなかったので、彼は縄を力一杯引っ張り、自分の体を持ち上げ、輪になった部分から頭を抜いて床に落ちた。胃液を戻し、ぜいぜいと喘いだ。そうして、少し休んで動けるようになると、ズボンを捨て、シャワーを浴びて体を綺麗にし、新しい服を着た。鏡で首元を見ると、縄の跡がアザになっていた。彼はそれを擦った。痛みはさほどなかった。
 首を吊ったにも関わらず生きていたわけだが、彼はそれで自分が本当に不死であるのだということをすんなり納得できたわけではない。もしかしたら、たまたま運が良く助かっただけなのかもしれない。そこで、猟銃をくわえ、引き金を引いてみたのだが、轟音で耳がキンキンしただけで、やはり彼は死ななかった。うなじのあたりに風穴が空いてしまったが、じきにそれも治った。
 自分が不死であるということに気付いた彼は、絶望をさらに深めたのだが、生きる以外の選択肢は彼には用意されていなかった。



No.908

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