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#17 依存しない方法 -ウーラ依存編- 2. 精神的な自立ができないワケ




本当の賢者とは


できないことを受け入れたことによって
だんだんとできることも理解しはじめて

今まで”やりたいこと”がなかった
私が目的を持つとは。

ウーラへの依存も切り離され
ようやく親離れということでしょうか。

依存から抜け出し
自分の足で歩きはじめましたが
次のフェーズ、精神的な”自立”への道は
私の場合、仕事で雇用されている状態では
まだムズかしい。

経済的な側面というよりも
自分よりも人を優先させることができるか。
自分も人も両方大切にできるのか。
ということが重要なのです。

人によっては雇用されることで
才能を発揮できる天職の人もいますし
適材適所かどうかです。

でも私は
依存や執着から抜け出たことにはならず
まだ自立したとは言えない状況なのです。

今の職場がなくなってしまったら
路頭に迷うわけですし
執着に近いものが残っているから。

もし本質で生き
精神的に自立しているのなら
いつまたコロナ失業があっても
急に倒産して収入源を失ったとしても

「そういうことなら、次はコレをやろう」
と切り替えがスムーズなはずです。

自立は無敵ですから。

なので
まだ精神的な自立を果たしたわけではなく
もっというと
ウーラへの依存がなくなった、というだけであって
依存気質がなくなったわけではない。

才能を使いこなして
本質の姿に戻ったら
地に足をつけて精神的に自立する。

そんな状態まで持っていかないと
もしかしたらまた誰かに
依存してしまう可能性があります。

依存の怖さをしっかり理解してしまったので
ここまできたら完全にリセットです。

ウーラの体調不良が原因不明のまま
最悪なことになった事実を目の当たりにしてますし。

結局のところ、ウーラと私は
”共依存”という関係であったということですが

お互いがお互いのエネルギーを
奪い合っている状態なので
実際にすが心も体も疲弊していく。
少しづつ、少しづつ。

私たちの場合は、圧倒的に私より
ウーラの方がエネルギーが小さいので
ウーラの方が不利というか、弱ってしまいますから

そんな理由もあって
私の方がオケツを叩かれまくっていたわけです。

尚且つお互いが
足を引っ張り合っていることにもなり
せっかく生まれ持った才能が
100%発揮されるどころか
陽の目を浴びずに、、ということもあり得ます。

自立したい私をウーラが引っ張り
自由に飛びたいウーラを私が引っ張る。

私がウーラに依存していた理由としての
まとめは、結局のところ

自分の真実を何も知らず

何もできない、才能がない、役に立たない、
という自分への不信感。

そして、ウーラがいなくては
自立できない、生きていけないという幻想。

依存する原因は
こんなところでしょうか。

依存がもっと進んでいくと
その先は“寄生”です、、。

ウーラに見放されたとしても
次のターゲットを見つけて寄生する
寄生虫になるところでしたw
こわい こわい

しかしながら
人は誰しも、一人で生きることができませんので
誰かの助けやサポートは必要です。

でも
依存し合う関係と
助け合える関係は
全く意味が違います。

お互いの性質や能力をしっかり把握して
自立した関係が成り立てば

何も求めず、
尊重しあう自由な関係になれる。

自分のやりたいこと、やりたくないこと
できること、できないこと
好きなこと、嫌いなこと

何度も言いますが
このように自分の真実をはっきりさせることが
依存しない第一歩であり
精神的な自立への近道です。

もし、取り柄も才能もないし
やりたいこともない。
自信がないという人は

ただ、知らないだけですから。

知ることで
自分にしかできないことが見えてくる。

すると、自信があるか、ないか
ということすら
気にならないようになる。

“己を知りうる者は賢者なり”

という言葉があります。

まさに、自分を知ってる人こそが
賢い存在である。

賢い人というのは
学力が高い人でも
地位や権力がある人でもなく

自分の真実を知る人という意味です。

私の場合は

”知ってるつもり”という
自己ギマンの道も通ったので

現実を受け止める必要があって
時間もかかりましたけど

そこがない人は
相当ショートカットできそうです。


ウーラと両親へ


これまで
両親へ執着していたことや
ウーラへ依存してきた事をお話ししてきました。

悔やんだり、後悔したり、
自分を責めたりもしました。
懺悔の気持ちもあります。

でも
どちらが悪い、ということではない。
ということも知った。

エルからは
罪悪感を持つ必要はないともいわれました。

罪悪感を持ちすぎると
今度は私の精神に悪影響があるので
ネガティブな世界になってしまい

私自身が幸せになれないですし
ということは
私の世界にいる人は、誰も幸せにはなれません。

ただ、事実としてしっかり受け止めて
罪悪感は手放し

そして、これからの人生は
ウーラへ、両親へ

無限の還元をして
楽しんでいくことに決めています。
昔からずっと夢見ていることでもありますから。

私に依存されていた
ウーラにとっても

執着されていた
両親にとっても

私との関係性と起こった事実は

本人が選んだ積乱雲だった。
魂が学びたかった出来事だった。
理由はたくさんあるでしょう。

その積乱雲を通り抜けることで
多くを学んで成長し

今後の新しい人生に不可欠な経験になっていく。
そして、必ず晴天が訪れる。

陰極まれば陽に転ずる」です。

この世には良いも悪いもない。

そこにあるのは事実だけです。

先の人生は
その事実をどう受け止めてどう選択するかです。



ありの〜ままの〜


最後に

”ありのまま”でいい。

というフレーズをよく耳にします。

エルいわく、、ちょっと微妙らしい。

180度正反対の自分を信じて生きてきた私が
”ありのまま”で、今も持続していたらと思うと

確かにゾッとします。

あくまでも
本質を知っている人のことを
指しているのだと思います。

あの映画の主人公は
魔法を使えるポテンシャルを知っていて
隠していただけなので、ありのままで
生きていってほしいです。

私は知りませんでしたから

まずは
魔法が使えると知ることから
はじまりました。

本質が、
女性なのに獣のような性質であっても
金欲が強すぎるカネゴンであっても
イルカと結婚したいマイノリティな人でも、

どんな人でも
生きやすい環境がありますし
理解してくれる人は必ずいます。

自分を知って、本質に目覚めれば
自然と訪れます。

私のように
自分を偽ってギマン人生を送っていては
ただ生きにくい現実をつくるだけですから。

まずは自分を知って、本質に戻っていく。

ここから
”ありのまま”の私で生きていけばいいのではないか
と思います。

ここまで
執着から依存までの17回
読んでいただきありがとうございました。

次回は
ウーラとエルについて
紹介をしていこうと思います。


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