祝福されない僕らの海【オリジナルSS】
祝福されない僕らの海
振り返れば僕の人生は「順風満帆」で、人から羨ましがられることも多かった。勉強は好きだったから受験で苦労することなく、友人にも恵まれ、3年前には結婚をし、今は1歳になる息子がいる。2つめの赴任先であるこの高校でも、頭を悩まされることはあれど周囲の先生方のサポートもあってか、大きな問題もなくやってくることができた。僕の30年は誰からも後ろ指を差されることのないもの、そう思っていた。
「先生、子ども、可愛い?」
「そりゃもちろん。」
「私、先生のことは好きだけど、お父さんしてる先生は好きじゃないな…。」
遠野朝子は僕のクラスの生徒で、1学期中にSNSで知り合った男性と金銭の絡んだトラブルで停学になり、2学期はまばらにしか登校して来なくなった難しい生徒だった。丁寧に化粧され顔に、色の入った長い髪を巻き、高校1年生にしては大人びていて、停学のことがなくても目立つ存在だった。たまに登校して来ては、話を聞いてほしいと教室に残り、僕はそれに付き合っている。いつしか遠野は僕に「好き」と言うようになったが、まともに向き合ってはいなかった。それだけ、遠野は簡単に好きを言葉にしていたから。
「私、子ども好きじゃないかも。取られたって思うかも知れない。やばいかな?」
「やばくはないんじゃないかなぁ。みんながみんな子ども好きではないだろうし。」
「…先生のそういうところ、好き。」
遠野は幼い頃に暴力を振るう父親の元から母親と2人で逃げてきたらしい。その母親に新しい恋人が出来てから、家に居場所がなくなり、遠野は頼れる大人を失った。だから僕に頼るんだろう、僕が「身近な大人の男」だから、好きだと錯覚してるんだろう。
「もう暗いし、帰ろう?」
「今日は帰ってくるなって言われてるから…。」
遠野は一瞬俯いたが、すぐに顔を上げ
「適当に泊まる場所探すから大丈夫。」
そう言って、複雑そうに笑った。
15歳にしては大人びているが、大人からすればまだまだ幼い、微妙な年頃だと思う。そんな年齢の遠野が精一杯の強がりを見せる姿に、僕はなんとも言えない気持ちになっていた。
「そういうわけにはいかないだろ。」
「じゃあ先生泊めてくれるの?」
「それは、無理だけど…。」
「…補導されたら迎えに来てくれる?」
「だからそれはダメだって。」
「それじゃあさ、海連れてって?」
僕は遠野のお願いを受け入れてしまった。車の助手席に遠野を乗せ、僕たちは1時間かけて海に向かった。車中、恐らく遠野は僕のことをじっと見つめていて、言葉は少なかった。
海岸近くに車を停めたが、降りる様子はなく、車の中から遠野は黙って外を眺める。風が強いのか、波の打ち寄せる音だけが静かに聞こえていた。
「…いいね、波の音。こんなに平和なのいつぶりだろ。」
「それなら良かったよ。」
「連れてきてくれてありがと。」
遠野は静かにシートベルトを外し、僕を抱きしめた。逃げることも振り払うことも出来たはずなのに、何故だかそれが出来ない。遠野を拒否したくない、僕は、この子を受け入れたいんだ、そのときはっきりと自覚した。
「…先生、好き。ほんとに好き。」
遠野は簡単に「好き」を言えてしまう。でもそれは本当に簡単に口をついて出た言葉なのだろうか。僕がまともに答えようとしてなかったのは、受け止めてしまったら僕が、僕のほうが歯止めがきかなくなる、そう思っていたからなんじゃないか。何度も「好き」を繰り返し、抱きしめる力が徐々に強く、震える遠野に、僕はもう誤魔化せなくなっていた。
「先生は私のこと嫌い…?」
「嫌いなわけ…ないだろ。」
僕は強く遠野を抱きしめ返した。波の音と、お互いの心臓の音だけが聞こえる。遠野を好きだと思った、守りたいと思った、遠くに連れて行ってしまいたいとすら思った。例え僕たちが世界から祝福されないとしても。
「先生、好き。」
「…僕も好きだ。」
罪悪感、後ろめたさ、そんなものより僕は、目の前の遠野を選んだ。遠野は顔を上げ、何秒か僕を見つめたあと目を閉じた。超えては行けない一線を超える瞬間、波の音だけがただ聞こえていた。
End.
【後書き】
キーワード「祝福されない恋」
たぶんこの2人をこの先待っているのはバッドエンドな気がしています。
朗読、声劇などお好きにお使いください。
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