明日違う世界で【オリジナルSS】

明日違う世界で

「あの、すみません」

夜19時半、ショッピングモールにテナントとして入るこの靴屋は客足も落ち着く時間だ。のんびり靴箱を畳んでいるところに、1人の女性が声を掛けてきた。

「いらっしゃいませ。」

「私、東店の者です!近くまで寄ったので挨拶に来ました。」

女性はマスクをスッと下にずらし、笑顔をみせてそう言った。眩しい笑顔に思わず胸がときめく。

「そうなんですね!俺、山下です!」

「山下さん、私、青木です。この時間よく発注のお電話でお話したことありますよね。ふふっ。」

目を細めて笑う青木さんに俺は一瞬で心を奪われてしまった。同じエリア、同系列の他店舗のスタッフの青木さんは電話口でもいつも感じが良くて、実際に会ったらもっともっと魅力的で、いっそ俺も青木さんの店舗で一緒に働きたいと思うほどだった。

青木さんの突然の来店から1ヶ月後、驚くことが起きる。いつも通り出勤しバックヤードに入ると
、今度は私服ではなく、店のユニフォームを着たそこには青木さんの姿があった。

「おはようございます!今日からここに異動になりました。よろしくお願いします。」

「え!?あ、よ、よろしくお願いします!」

こうして俺は青木さんと同じ職場、しかも同じ遅番として働く日々が始まった。青木さん俺より5つ年上で、まだ入社して4ヶ月のパートらしい。まだまだ仕事でわからない部分が多かったから、俺はそれを教える役目を与えられた。

「山下さんすみません、西口店からの取り寄せで、この品番のスニーカーなんですけど…。」

「これ今日入ってきてまだ品出ししてないやつっすね。…あ、これこれ。」

「ありがとうございます!」

完璧とは言えなくとも、丁寧な仕事をする人だ。わからないことは積極的に尋ねてくるし、お客様にも愛想がいい。レジが混雑していても笑顔を絶やさない青木さんに、一緒に働くことで更に心惹かれていった。

閉店時間も迫る頃にはほぼ二人きりになる。レジ締めの時間は俺にとってたまらなく幸福な瞬間になっていた。デートに誘いたい。店の外で会いたい。もっと青木さんのことを知りたい。

「青木さん、慣れました?」

「まだまだです。でも皆さん優しいし、すごく楽しいですよ。」

「それなら良かったっす。…青木さんって、休みの日はなにしてるんすか?」

「インドアだから家にいるかなー。夫と休みが合えば出かけるんですけどね。」

「夫!?あ、やべ!」

がしゃんと派手な音を立てて数えていたレジ金を落としてしまった。指輪をしてなかったらから知らなかった。まさか結婚してたなんて。衝撃にふらつきそうになりながら、慌てて床に落とした小銭を拾う。

「もう、驚きすぎですよ。」

俺がしゃがむのに合わせて、青木さんもゆっくりとしゃがみ込み、小銭を拾っていく。

「…結婚してないように見えました?」

「いや、見えたってか…。すいません。」

ふと500円玉を拾い上げる手が触れ合う。顔が熱くなっていくのを感じたけど、どうしようもなかった。もっと早く出会いたかった。もっと早く出会っていたところで、なににもならないかも知れないけど、もう誰かの青木さんになってしまっていることが、デートに誘うことすら許されないことが、なんとなく悔しくて、俺はどうしようもない気持ちになっていた。

「俺、正直運命かと思ってました。」

「…運命?」

「いや、なんでもないっす。」

気持ちを伝えてしまおうかとも思ったけど、寸でのところで留まった。青木さんには笑っていてほしかったから。明日起きてもし違う世界になっていたら、違う二人で出会えていたら、言えるかも知れない。あなたが好きだって。

End.


【後書き】
実話ベースに書きました。
テーマは「出会う順番が違っていたら」
同じテーマでもうひと作品書いているので、それはまたいつか公開したいと思います。

朗読、声劇、演劇などお好きにお使いください。

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