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ヒト・シュタイエル「Mission Accomplished: BELANCIEGE」について

国立新美術館でやってる「遠距離現在 Universal / Remote」というやつに展示されているヒト・シュタイエル(他)の作品についてのメモ

会田誠が芸術新潮で「美術に政治を持ち込もう」と書いたり、国立西美で抗議があったりして、美術において政治的、社会運動的なものをどう扱うべきかみたいな話してるときにタイムリーな内容だった

すげえよかったんだけど、複雑な話が複雑なまま呈示されるような内容で帰ってきてから思い出そうとしたら「で、けっきょく何なん?」ってなったので思ったことをまとめる

尚、文中敬称略



国立新美術館 遠距離現在 Universal / Remote

会期
2024年3月 6日(水) ~ 2024年6月 3日(月)
毎週火曜日休館
※ただし4月30日(火)は開館
開館時間
10:00~18:00
※毎週金・土曜日は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで
会場
国立新美術館 企画展示室1E
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
主催
国立新美術館
協力:ゲーテ・インスティトゥート東京

公式より

ちゅうわけでまだぜんぜんやってる
今回はシュタイエルの作品についてだが、他にもおもろいのあったので国立新美術館の展示としては正直かなりおもろかった
値段もまあ1500円ならオトクな方やろ!

他には徐冰(シュ・ビン)の映像作品も、ちょい長いけどすげえよかった

Mission Accomplished: BELANCIEGEの概要

映像インスタレーション作品、みたいな感じで、あんま長くないので時間ない人でも見れる

作品にクレジットされているのは以下の3人で、いずれも公式からの引用
シュタイエルとその教え子という感じだ

ヒト・シュタイエル Hito Steyerl
1966年ドイツ、ミュンヘン生まれ、ベルリン在住。日本映画大学とミュンヘンテレビ映画大学でドキュメンタリー映画を学び、2003年にウィーン芸術アカデミーで哲学の博士号を取得した。

近年の主な個展に「ヒト・シュタイエル:壊れた窓の街」(ライプツィヒ美術館、2023年)、「ヒト・シュタイエル:データの海」(国立近現代美術館、ソウル、2022年)など。日本では「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」(2018年、水戸芸術館 現代美術ギャラリー)などのグループ展に参加。2017年に出版された『デューティー・フリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』は2021年に邦訳版が出版されている(フィルムアート社)。Art Review の「Power100」ランキングでは2013年より現在まで10年連続入選、2017年には1位に選ばれた。

ジョルジ・ガゴ・ガゴシツェ Giorgi Gago Gagoshidze
1983年ジョージア、クタイシ生まれ、ベルリンを拠点に活動。トビリシ国立芸術アカデミー(2001–07年)、デン・ハーグ王立美術学院(2008–2010年)で学び、ベルリン芸術大学(2012–16年)にてヒト・シュタイエルに師事。

ミロス・トラキロヴィチ Miloš Trakilović
1989年ボスニア・ヘルツェゴビナ、トゥズラ生まれ、ベルリンとアムステルダムを拠点に活動。ウィレム国王学院(2009–12年)で学び、ベルリン芸術大学(2012–16年)にてヒト・シュタイエルに師事。

ドイツ、ジョージア、ボスニア・ヘルツェゴビナの人たちが作ったもの、という前情報はけっこう重要だった

で、おおむねどういう内容かというと

《ミッション完了:ベランシージ》

本展に出品される《ミッション完了:ベランシージ》は、2019年に開催されたシュタイエルの個展においてレクチャー・パフォーマンスとして発表された後、インスタレーションに再構成された。ファッションをキーワードに、1989年のベルリンの壁崩壊からの30年間の、格差という風景を永遠に見せ続ける資本主義の堂々巡りの旅を説く。

公式より

という2019年の作品
3枚のモニターがあって、そこに前述の作家3人が立ち、入れ代わりながらテンポよくしゃべる
みる方は青い円形のベンチに座ってそれを見る、みたいな感じだ

ざっくりどんな内容?

「1989年のベルリンの壁崩壊からの30年間の、格差という風景を永遠に見せ続ける資本主義の堂々巡りの旅を説く」

って公式には書いてあるが、見たあとの感想としていうと、この説明は(当たり前たが)めっちゃ省略されてる
より正しく書くと、こんな感じだ

「1989年のベルリンの壁崩壊後に起きた東欧民主化の波とボスニア紛争。その一因でもあるアイデンティティ政治、社会的分断、格差の拡大を、ミームバイトにもとづくバレンシアガのブランド戦略を手掛かりにたどり、エリート層、メガテックによるメビウスの輪的な『包囲』体制下のいま、個人はいかに生くべきかを説く」

川崎重工はおろかすべての資本を断罪しそうな内容だが、まあだいたいこんな感じだったと思う

すげえいろんな話が出てくるが、テーマとして絞ると以下になると思う

  1. ベルリンの壁崩壊後の東欧革命の混乱

  2. バレンシアガとジョージアの関係

  3. バレンシアガ・メソッド

  4. アイデンティティ政治

  5. 貧困の私有化(格差のメビウスの輪化)

  6. いかに生きるべきか

ぜんぶ書くとひどいネタバレになるのでしないが、それぞれどういう話なのかかるく説明して、最後に「だから何なんだよ」ってまとめを書く

1.ベルリンの壁崩壊後の東欧革命の混乱

▽バレンシアガを着るサーカシビリ

物語は政治家のサーカシビリからはじまる
どんな人かしらん人もいると思うけど、こんな人だ

ミヘイル・サーカシビリはジョージア出身の政治家で、2004年から2013年までジョージアの大統領を務めました。彼は政治・経済改革と西側諸国との関係強化に尽力しましたが、権威主義や選挙不正の批判も受けました。大統領職後、ウクライナで政治活動を行いオデッサ州知事になりましたが、汚職の疑いでウクライナ国籍を剥奪されました。

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一番輝いてたのは、ジョージア(当時はグルジア)のバラ革命でシュワルナゼを追い込んだときだ(が、そのあとうまくいかなくなくて、ウクライナに逃げてあれこれある

で、このサーカシビリはいかつい東欧のおっさんなわけだが、なぜかバレンシアガを着てて、特に靴が好きっぽいという話がこの作品の導入
(本当はベルリンの壁が89年に崩壊した、から始まるがまあいいだろ

▽民主化を追求してるができない東欧

作品の中では、東欧諸国はずっと民主化をしようと頑張ってきたが、永遠に追いつけていない
が、もし(世界が)循環してるとしたらと、民主主義国家に先行してるといえるかもしんない、と語られる

▽民主化すると思った数年後にはボスニア紛争

また、ボスニア紛争も背景として出てくる
これは後のアイデンティティ政治の典型例として重要な情報となる

ボスニア紛争は、1992年から1995年にかけてボスニア・ヘルツェゴビナで起こった内戦です。ユーゴスラビアの崩壊に伴い、民族間の緊張が高まり、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言後に紛争が勃発しました。この戦争は、ボスニアク(ボスニア・ムスリム)、クロアチア人、セルビア人の間の民族対立によって特徴づけられ、大量虐殺、民族浄化、重大な人道に対する罪が発生しました。特にサラエボの包囲やスレブレニツァの虐殺は、紛争中の悲劇的な出来事として記憶されています。1995年のデイトン合意により戦争は終結し、ボスニア・ヘルツェゴビナは複雑な政治体制を持つ国として再編されました。

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2.バレンシアガとジョージアの関係

この中だと正直どうでもいい話かもしんないけど、これ(バレンシアガ)が作品の骨格なので、まあ大事だともいえる

さっきのボスニア紛争で、その紛争から逃げる人たちの中に、デムナ・ヴァザリアがいた

デムナはヴェトモンを成功させ、後にバレンシアガのデザイナーとなる
これでボスニア紛争とバレンシアガが結びつく

3.バレンシアガ・メソッド

▽バレンシアガ・メソッド

「ブランドのつけたし、ノーブランドのブランド化」
これがバレンシアガ・メソッドである(って言ってた)

具体例としては、バレンシアガが出した高級なイケアのバッグ
あとはクロックスのバレンシアガ版が作中で登場する
(本物のイケアのあの青いバッグは、現場に展示されてる

▽すべてを私有化する方法

作中で何度も登場するたとえとしては、壁で囲い込むのがふつうのブランドだが、バレンシアガ方式では、壁で囲んだ中じゃなく外すべてを自分のものだと宣言する、というのがある
外部がすべて「私有化(Privatization)される」と字幕に出てた気がする

※Privatizationは日本語だと(国有に対する)「民営化」なので、なんかちょっと正しい意味をつかめてないかもしんない。まあここでは「私有化」で押し通す

つまり、イケアのバッグだろうがクロックスだろうが、(ハイブランドの)外にあって親しまれてるものは、あとから自分たちが出せばそれもハイブランドになる、っていう手法である やべえ、最強じゃん!!!

▽ミームバイトによる89年以降世代の取り込み

またバレンシアガはミームバイトによって若者を取り込んでいる
「ハイブランドを揶揄し、より親しみやすいもの」として、自分の形を自在に変えながら消費者に近寄ってくる、っていう話だった
だからイケアのバッグとかを出すんだろう

この話の中で、いまは日本に住んでるらしいこの人が登場してた
(この後も何度か登場する

否定的に語られてて、NZのモスク襲撃犯がこの人の視聴者で、事件前にこいつをサブスクしろ、みたいなこと言ってたらしい
これ以降、ミームの以降はまったく変わった、と作品内では語られる

▽ユーザーは無給の労働者になってる

こういうミームバイトによるマーケティングにより、消費者はつねに見逃し、とりのがし、という感覚に迫られて生きることになる
こうして無給の(ミームをバイラルする)労働者になってる、と語られる

これはビッグテックによるデータの「囲い込み」(これも包囲の一形態だろう)という文脈だろうが、そこまで具体的には語られない

4.アイデンティティ政治

▽ケンブリッジ・アナリティカ

トランプ陣営の選挙戦術とケンブリッジ・アナリティカの人が出てきて話す

ケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)は、データ分析と戦略的コミュニケーションを専門とするイギリスの企業でした。この会社は、特に2016年のアメリカ合衆国大統領選挙やブレグジット(イギリスのEU離脱)キャンペーンにおける役割で知られています。
主な論点は以下の通りです:

データ収集と利用: ケンブリッジ・アナリティカは、Facebookから不正に取得した数百万人のユーザーデータを使用して、選挙キャンペーンのためのターゲット広告を作成しました。このデータは、個人の興味、行動、政治的傾向を分析するために使われました。
心理的プロファイリング: 同社は、収集したデータを基に、有権者の心理的プロファイルを作成し、これを用いて特定のメッセージが個々の有権者にどのように影響を与えるかを予測しました。
政治キャンペーンへの影響: ケンブリッジ・アナリティカは、トランプ大統領の選挙キャンペーンやブレグジット支持キャンペーンに関与し、個別の有権者にカスタマイズされた広告を配信することで、公衆の意見形成に影響を与えようとしました。
法的および倫理的問題: 同社の活動は、プライバシー侵害、データ保護法違反、選挙干渉の疑いを引き起こし、世界中で大きな論争を巻き起こしました。
会社の終焉: スキャンダルが明るみに出た後、ケンブリッジ・アナリティカは業務を停止し、2018年に事業を閉鎖しました。

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作品内では、トランプの横でしゃべってるキム・カーダシアンがヴェトモンを着てるって話からここへ展開する構成

▽何ももっていない人が唯一持ちうるもの

社会が不安定化して経済的に困窮したとき、人が持ち得るのは「アイデンティティ」だけって話
ベルリンの壁崩壊→連邦解体→社会と経済の不安定化→アイデンティティ意識の増大→民族主義者の台頭→宣伝工作→ボスニア紛争の発生、みたいな流れが想定されてると思う
ちゅう文脈で、ボスニアは「アイデンティティに包囲」された国だった、と語られる

アイデンティティを「麻薬」のようなもの、と呼び、自分は変われないことを前提としてると作中では述べられてる

5.貧困の私有化(格差のメビウスの輪化)

3.のバレンシアガ・メソッドにより起こること

▽貧困の私有化

バレンシアガ・メソッドでは外にあるものは何でもブランド化できる
そんでハイブランドを揶揄して、身近にあるものをハイブランド化していく
この流れの中で、貧困すらもブランド化されてくという話
新品なのにボロボロに見える靴とか、バレンシアガ製のDHLの制服とかが参照されてた

本来ハイブランドを買う富裕層と真逆にいる労働者、貧困層のスタイルが、ハイブランド化されているわけだ

余談だが、ファッション系のYouTubeとか見る限り、デムナがボスニア紛争でどん底を経験したという経歴から、これを「いい話」的に捉えるのが一般的な文脈っぽい(まあ確かにアイデンティティ政治と絡めて評価しろ、みたいなのはハードル高すぎる)

これによって、支配・被支配の階級が平準化されてしまうというか、いっしょくたにされて、格差が見えにくくなる、ということなんだと思う(この後の文脈をみると)

▽格差のメビウスの輪化

バレンシアガのあるときのコレクションの発表会が、欧州会議の議場を模したものになっていた、という話があり、上から見るとそれはメビウスの輪になってる(ダンテの神曲の話も出てくるがスルー)

うえからみるとステージ上の高低差は見えないが、実際にはかなり高さの差があり、これと同じように(貧困の私有化により)格差は見えなくなってて隠蔽されてる、というような話がされる

▽バーニー・サンダースとスニーカー

アメリカの左派政治家のバーニー・サンダースが、ナイキのスニーカーの転売価格を当てる動画が流れる
バリバリの左派であるサンダースすらメソッドの一部になってる

▽〇〇の労働者よ団結せよ

昔は「万国の~」だったが、いまは「全アイデンティティの~」になってるぜ、という話

6.いかに生きるべきか

▽文化戦争の真っただ中

我々は「文化戦争」の真っただ中にいる
シャネルとバレンシアガ(orクロックス)の違いは何か?(→なんだったか忘れた)みたいな話もあったが、大事なこととしては「受け手によって
何が残るかは変わる」
って話をケンブリッジ・アナリティカの人がする

「政治のクロックスになるのか、シャネルになるのか」というセリフは印象的だ

▽ベランシージ

サラエボ包囲の中で売られてた(んだと思う)バレンシアガのコピー商品みたいな靴
包囲された市民のための靴で、宗教、民族主義(つまりアイデンティティ)に対抗できるものなのかもしれない、と作中では述べられる

この靴は3つの使い方でベランシージであることを証明できるらしい
・フルシチョフみたいに国連で机をたたいたり
・食べたり
・ブッシュに投げつけたりする(↓具体例)

また、包囲はクラウドやファイアウォールでもある

▽わたしたちの服がクソださいって話

電話がかかってくる
服がクソださだから提供してもいいって話らしい

ここでオチがあって終わり

で、結局何がいいたいのか?

↑は主なトピックであって全部じゃないし、順番も正しくない
かなりフットワークを使って次々話題も飛ぶ
(このフットワークによるわかりにくさはわざとだと思う

果てしない循環

トピックとして触れなかったが、この作品は「終わらない」とか「循環」というのがテーマとして出てくる
つまり、何かがぐるぐる回ってるというわけだが、これはまず1つは

・永遠に民主化をもとめて同じとこを回る東欧諸国

というのが意図されてると思う
で、もう1個がバレンシアガ、アイデンティティ政治、貧困の私有化によってできる構造で、自分の解釈だとこういうことじゃないか説だ

こういう循環

バレンシアガ的な手法により、格差・貧困が見えにくくなり、固定化される
 ↓
格差・貧困によってアイデンティティ政治が発生、または強化される
 ↓
アイデンティティ政治と同じマーケティング手法がより有効になる

ちゅうことである
この話が皮肉なのは、バレンシアガとイコールで結ばれてるデムナ自身が、これに巻き込まれてる東欧出身っていう点で、デムナのようなアイデンティティ政治の被害者的な立場の人が、その手法を武器にしてそれを再生産していく、っていう(重層的な)構造も意図としてあんのかもしんない

支配・被支配の関係が・・・みたいな話あったから、考えられてはいそうだ

かんそうなど

見たあとで「何とも言えない気持ちになる」点で素晴らしい作品だった
日本人はまじめに見てたが、西洋人っぽい見た目の人は大笑いしてたので、もしかすると文化、政治的立場によってはすげえ面白い可能性もある

この作品はまぎれもなく政治的なものだし、メッセージも多いが、これを美術以外の手法で提示しろと言われるとかなり難しい気がした
強いて言えば映画だが、めっちゃ敷居高くなりそう

どういうところがいいと思ったのか、整理しとくと

  • 東欧の問題は難しいが「難しい」印象をちゃんと与える点

  • 内容のわりに短く、飽きない

  • 多様な問題が複雑に絡み合ってることが直感的にわかる

  • 起きている問題には、複数の原因があることがわかる

  • そもそも問題も複数あることがわかる

  • 実際に行動に移せるメッセージ(SNSちゅういしろ的な)

  • この問題をこの時間内で提示するにはこの方法しかなさそう

という感じである
「なんでそれ美術でやるん?」にここまでぐうの音も出ない作品で応答してるのはすげえと思いました(まる)


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