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ポケモンとトレーナーの話。

こんにちは、はんぺんです。私、ポケモンというコンテンツや世界観は大好きなのですが、どこか今までのゲームのポケモンシリーズがあまり好きではなかったのでそこについて+来年始めに出る最新作がかなり興味的な内容だったのでそれについての話。重くならない程度ですがポケモンについて私個人の考えが入ります。悪しからず。
今回はなす最新作は『POKEMON LEGENDS アルセウス』(以下ポケモンレジェンズ)のことで公式サイト、紹介PVはこちら。

「いけ!ピカチュウ!10万ボルト!」アニメで馴染み深いセリフである。このセリフの後、ピカチュウは技を繰り出し、「バトル」をする。しかし、トレーナーは指示を出すのみでバトルに参加はしない。そうして野生のポケモンが弱ったところにモンスターボールを投げ「捕獲」する。トレーナーはこの「バトル」と「捕獲」を繰り返し冒険を進める。その結果として、ポケモンリーグに挑み名声を得たり、図鑑を完成させて知識欲を満たしたりする。

そこには当然ポケモンとトレーナーの信頼関係があり(少なくとも作中の世界観における真っ当なトレーナーたちは)仲間、友、といった描写もまま見られる。のだが…
私はどうにもそこの整合性がどうにも取れていないのではないかと思っていた。

一つに明らかにトレーナー側が圧倒的に有利、安全な位置にいるように見えるということ。もう一つに今までのゲームではポケモンのステータスの数値に依存しその数値が高いポケモンを求めるという姿がポケモンを戦闘の道具のようにしていること。が挙げられる。

前者はRPGゲームという特性上仕方なく、アニメでも基本同じ描写なので世界観的にそう作っているのだろう。(一部映画やコミックスなどでトレーナーも戦うシーンもあるが)後者もまたゲームとしてみた時に強いポケモン対人戦を見た時にゲームに深みを求めるためには仕方ないのかも知れない。

しかし、この戦闘の道具としてのポケモン仲間としてのポケモンはあまりに対極にある。

もっとトレーナーも戦闘に参加したりピンチなポケモンを守れる仕組みがあれば良いのではないか。「ポケモンを使役する」だけでなく、群れるポケモンや圧倒的なポケモンの力に恐怖を覚えるシーンや数値での限界を作らず鍛え続けることである程度限界を越えるなど生き物らしい描写がもっとあっても良いのではないか、と。

これはゲーム、ポケモンシリーズへのアンチテーゼのような論とも取れるが、上記のような描写を増やすことでより対等、かつ深い関係を表す上で良いのではないかとずっと思ってきたし今でもそうだ。どうか株式会社ポケモンさんにはそういったポケモンのタイトルを作って欲しいと思っていた。

そこで今回の『ポケモンレジェンズ』である。
今作、今言った要素が含まれるシーンが一部であるが公式PVで公開された。(以下公式PV内より引用)

上図は物陰からポケモンに逃げられないように草むらに隠れながら様子を伺うトレーナー(上)レントラーと思しきポケモンから雷攻撃をくらうトレーナー(中)リングマと思しきポケモンから追われ逃げるトレーナー(下)である。

明らかにトレーナーもバトルに参加している。未だかつてないし「怖い」「恐ろしい」といった今までのゲームではなかった感情が浮かぶ。これらはキャラクターとしてのポケモンへの捕まえたのちの敬意ともつながる部分があると思う。実際、PV内でもキャラクターがどういう文脈でかはわからないが「ポケモンは怖い」と言っている。


まだ、PVが出た段階なのでその実態がどうなのかは不明だが、ポケモンを生き物たらしめる、またポケモンの世界観を深掘りする作品になってくれればと思う。


今回も読んでくださりありがとうございました。 
はんぺん

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