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最後は自分で決断する

責任から逃げない


ただ何となく時間が流れることを待っていても、理想とする瞬間は訪れない。自らの意思を喪失した状態では、得られる幸せを発見できない。

悩んでも変えられないことで時間を費やしても、理想とする世界が目の前に現れない。

一度しかない人生を漠然と過ごすことは、人生を諦めるようなもの。多数派が形成した評価や空気に支配されず、自分にできることを納得できるカタチで経験していく。

周囲と変わりない生き方だけに目が眩むことは、人生に対する視野を狭める一択になる。誰かと同じであることで安心を見出しても、願った人生を送れるとは誰も約束してくれない。

多数派が選んだ人生だけを正義と思うことで、シンプルに人生を把握できなくなる。

自分自身で考える機会を放棄していれば、他人軸で過ごす選択肢しか見えてこない。誰かに対して期待を投げつけるより、自らの行動を鑑みたい。

何度もやり直すことができない人生を後悔の念で覆い尽くさず、できることをひとつずつ積み上げていこう。

現実を生きる


自分の都合で描いた理想論と現実を混同させていれば、物事の本質を容易に見失うことになる。

リアルな現実から目を逸らすことは、自分が自分である感覚を乏しくさせていく。周りの意見に流される状況に違和感がないと、主体的に考える経験を積めなくなる。

どういった現実を歩んでいるか、時として霊視絵に現状を確認することで気づける景色がある。自らが知っている他責の感覚に溺れていれば、新たな世界を知れない。

等身大の今日から逃げ回ることで、理想とする世界に足を踏み出せない。

歪んだ解釈で諦めの気持ちを大きくしても、幸せには決して手が届かない。

人生の決定から背を向けることなく、今日という瞬間のなかで小さなチャレンジを重ねていく。その時間を経ることによって、決断の価値を当事者として受け止められる。

日々を不毛なことで埋め尽くさず、心に嘘つくことなく正直な姿勢で日々を紡いでいこう。

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