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もう広告クリエイターのエゴはうんざりだ

最近、テレビCMよりもTVerのCMのほうが好きです。

その理由を考えてみたのですが、企業の「伝えたい」という思いがより伝わってくるからなのだと思いました。
「これをどうしても伝えたいんだ」を、不器用でも、純度高く表している。

それに対して、テレビCMは「広告クリエイター」のエゴが滲んでいるのです。顔をしかめたくなる時もあります。

「こういう、有名人をつかって、画が綺麗で、映画とも見まちがうような高品質な映像をわたしは作れるんですよ〜〜そういうことできるんですよ〜」という、白々しい、「自分のポートフォリオに代表作として入れたくて、ナショナルクライアントの名前をぶん取って、自分のために作った」もの。
企業の「こういうことを伝えたい」よりも、広告クリエイターがあとでFacebookに投稿して「いいね!」を稼ぐために作られるようなもの。

Instagramに投稿される、「いいね!」を増やすための「ハイブランドの物をこれでもかとからだにつけてアップされる嘘くさい写真」のような。
いや、わざわざ投稿せんで、自分で楽しんでおきゃいいじゃん!

もちろん、テレビCMにおいて、「映像の格」は大事です。
企業の品格もそこに出てきます。
なにもチープで安っぽい、お笑い風でクソすべってる、企業から文句を言われないように、RFPに入っていることをただその通りに入れた、羽毛より軽い、内容のないCMが良い、とは全く思いません。
公共騒音のようなテレビCMが良いとも全く思いません。
マナーや品質は大事だと思います。

ただ、「たかがテレビCM」なのです。視聴者からすれば。
視聴者は、テレビCMを見るためにテレビを見ていないのです。
じゃまな物なのです。
せっかく見ているなかで、差し込まれる、強引に見せられるものなのです。

そのような「どアウェイ」な環境下で、ちょっとでも、
企業のいいたいことを、ちょっとでも印象に残して欲しくて、
必死にもがくのが「テレビCM」なのだと思うのです。

そんな余裕もクソもないなかで、
広告クリエイターごときのエゴを出してくれんなと。

自分の作品集にただ綺麗なものを入れたい欲で、
有名人とのつながりを作りたいという汚い自分の欲望だけで、
企業のことも視聴者のことも全く考えないような、
視座が低すぎて地面についちゃっているような、
自分のことしか考えてないものを作るなよと。

それなら自分のカネで作れよ、と。

TVerのCMのほうが、”品質”でいったらテレビCMよりも低いのかもしれません。
でも、企業のいいたいことを表現している気がするのです。
クリエイターが、純粋に企業のために動いている気がするのです。
あとで自分のポートフォリオに入れるためだけの作品でない気が。
心がこもっている気が。
記憶に残る気が。


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