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となりのトトロ 夢だけど夢じゃない世界 トトロのいる自然

「となりのトトロ」は、ジブリ作品の中で最も平和で、戦うシーンは一つもなく、何も特別な事件は起こらない。

父と二人の娘が田舎の一軒家に引っ越してきて、入院している母の帰りを待ちわびているだけの物語。

唯一大きな出来事は、4歳の妹が、遠くにある病院にトウモロコシを届けたくて、迷子になってしまうことだけ。
映画の大半は、トトロというお化けとの出会いを空想するメイとさつき姉妹の日常生活の描写に費やされる。

そんな単純で単調なはずのアニメのどこに、これほど観客を虜にする魅力があるのだろうか。

物語の基本構造

昔話には基本となる構造がある。

「欠如→試練→充足」

主人公には何か欠けたものがあり、それを充足させるために今までいた場所を離れ、新しい場所で試練を受ける。
その中で様々な体験をし、援助者の助けを借りながら試練を乗り越え、最終的に充足に到達する。

「となりのトトロ」には波瀾万丈の出来事がなく、宮崎監督自身、あまり物語性がないと言っている。では、物語の基本構造がまったくないのかと言えば、そんなことはない。

(1)「欠如」

「トトロ」の場合、「欠如」は母親の存在
彼女は病院にいて、二人の女の子はお父さんと一緒に過ごすことになる。

(2)「試練」

主人公の「試練」は、それまでいた場所を離れて、新しい場所に移動して受けるのだが、「トトロ」では、引っ越しの場面から始まることで示される。
新しく住むことになる家と、それを取り囲む自然が、試練の場

引っ越しの直後、メイとさつきはその家のことをお化け屋敷と呼び、隣に住む少年カンタも同じように言う。その家は、お化けあるいは妖怪が住む異界に属しているのだということが、暗示されている。

その異界にはトトロという異次元の存在がいる。
トトロはお化けであり、クスノキのうろの中にいる森の精であり、自然の結晶。さらには究極的な異次元の存在である神だとも考えられる。

普通、物語の面白さは、様々な試練が設定され、それを主人公がどのように乗り越えるかというところにかかっている。異界はおどろおどろしい怪物たちとの戦いの場になる。

実は、メイが草のトンネルを通ってトトロと出会う場面は、メイが神隠しに遭ったように見ることができる。
その場合には、メイが病院にトウモロコシを届けようとして迷子になる部分と対応する。
それらは一連の試練と見なされうる。

しかし、トトロを中心として展開するファンタジーの世界は、ほのぼのとしていて、穏やかで、戦いがない。
トトロは異界の存在だが、人に安心を与えてくれる。

「日本の神様は笑っている。気候みたいに厳しいときもあるが、基本的にはお日様ニコニコ。」
「トトロが存在しているだけで2人は救われる。」
こうした宮崎監督の言葉から、異界の生物との出会いが、戦いではなく、むしろ安心につながることがわかる。
それが、 トトロの試練が試練らしくない理由である。

宮崎監督は、「となりのトトロ」の目指すものは、幸せで心温まる映画、楽しい、清々した心で家路をたどれる映画だと言う。
悪人も戦いもない世界で、トトロのような全てを受け入れてくれる温かなおばけと出会うこと、それが「トトロ」の試練なのだ。
誰が見ても安心でき、楽しい気持ちになれる秘密がここにある。

(3)「充足」

「充足」に関しては、最後に病院で母親に届けたトウモロコシによって示される。ここで、最初に欠けていた母と子どもたちが繋がることになる。

そして、エンド・ロールで、タクシーから降りる母の姿が描かれる。
この場面で、母の欠如が充足されることが、最後の最後に示される。

トトロのいる自然

「となりのトトロ」には、美しい自然が背景として常に存在している。

それは引っ越しの時に目に飛び込んで来る田んぼの風景から、クスノキのある森、家の庭、迷子になったメイを探すさつきが目にする田園まで。

そこでは、草花が咲き、小川が流れ、魚やオタマジャクシが泳ぎ、ドングリが転がり、お米やトウモロコシが栽培されている。

雨が降り、風が歌う。

こうした映像を見ながら、私たちは、日本の田舎の風景を思いだし、その中に生きているように感じる。
それほど、「トトロ」の中の自然は、具体的な存在として感じられる。

ところが、この自然はごく身近な自然でありながら、ある特別な役割を担っている。実は、「トトロの自然」は異界でもある

異界への通路は、至る所に仕組まれている。
引っ越した先の家の前には小川が流れ、橋がかかり、その後で、草のトンネルがある。
小川は、あの世とこの世をへだてる三途の川の役割をし、トンネルも同じ役割を果たす。

その二重の通路を通って行き着く先は、お化け屋敷。そこは異次元の空間であり、子どもにしか見えないが、まっくろくろすけたちがうごめいている。

メイが最初にトトロと会うエピソードには、異次元に入るための仕掛けが幾つか施されている。
メイが小トトロたちを庭で見るときに、ドングリが最初に目に入る。

ドングリは、宮崎監督が、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」を参照している印だろう。賢治の物語では、主人公の一郎の許に山猫からハガキが届き、異次元の世界へと誘われる。

おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                山ねこ 拝

宮沢賢治「どんぐりと山猫」

「トトロ」のドングリは、山ねこのハガキに相当する。

次に、穴の開いたバケツ。この穴からのぞき見ることで、見えないものが見えてくる。異次元の世界を見る装置だと言える。

こうして現実とは違う次元に入り込み、小トトロたちを追いかけて草のトンネルを抜け、最後はクスノキのうろでうとうとしている大きなトトロと出会うことに成功する。

さつきも、メイを助けるためにトトロのところに行くときには、草のトンネルを利用する。その時には、「お願い。」という魔法の言葉が使われる。

それ以前にさつきがトトロと会うのは、辺りが暗くなり、雨が降りしきり、メイが眠っている時。つまり、現実世界が見えなくなるとき、見えない世界が見えてくる

この場面の後、現実には存在しないネコバスが走り寄り、トトロはお父さんの傘を持ったまま、バスに乗って去ってしまう。

その後、現実のバスが現れ、お父さんが戻る。
こうして、現実の世界が戻ってくる

こうした仕掛けを通して、現実の世界のすぐ隣りに、非現実の世界が存在し、メイとさつきが二つの世界の間を行き来する様子が描かれている。

「トトロ」においてとりわけ重要な点は、二つの世界が断絶しているのではなく、重なっているという点。

トトロのくれたプレゼントである木の種が、夢の中で大きく成長するエピソードが、それを最も見事に描き出している。
現実の世界で、トトロからもらった木の種はすぐに芽を出さず、子どもたちは待ちわびている。
もうすぐ夏休みになるというある夜、さつきとメイは夢の中で、庭の花壇の前でお祈りをしているトトロたちの姿を見る。
そして、みんなで一緒にお祈りの踊りを踊っていると、芽が出て、みるみるうちに成長して、巨木になる。
大喜びして、トトロの胸の上に乗り、空を飛び回り、風になり、巨大なクスノキの上で一緒にオカリナを吹く。

翌朝、芽を覚まし、庭に出ると、あれほど待ち望んだ芽が生えだしている。
二人は、「夢だけど、夢じゃなかった。」と言いながら、花壇の周りを踊りながら回る。

現実世界では、現実の出来事と夢は断絶している。「トトロ」のメッセージは、その二つが決して別のものではなく、重なりあっていることを伝えることにある。

別の言葉で言えば、二元対立的な思考法を変更すること。
現実vs非現実
人工vs自然
現実vs夢、空想
人間vsお化け(トトロ)
見せる世界vs見えない世界
こうした対立項の一方だけが現実を構成するのではなく、両方を含めて現実であるという考え方。

大人であるおとうさん隣のおばあちゃんには、もうこうした世界は見えないように思われる。
おばあちゃんは、子どものころにはまっくろくろすけが見えていたと言う。
お父さんは、まっくろくろすけは、明るいところから急に暗いところに入ると目がくらんで見えるものだと、合理的な説明をする。
しかし、メイがトトロと会った後で、二度目は会えなかったりすると、運がよければ会えるけれど、いつも会えるとは限らないと言い、決してメイを否定することはしない。
こんな風に、二人ともまっくろくろすけやトトロが見えないとしても、しかし、メイやさつきの世界を決して否定することはない。今でも、ごく当たり前のこととして、子どもたちと同じ自然の中で生きている。

実は、「となりのトトロ」で描かれる美しい自然は、現実的な風景でありながら、トトロが住む空間でもあり、二元対立的思考を超えている。
言うなれば、全体性を体現した自然
雨が降り、種が芽生え、風が吹き、植物や昆虫を養う。
その自然は、生命そのものだと言ってもいいだろう。
そうした自然を、トトロもネコバスも体現しているのではないだろうか。
ふわふわ、ふかふかし、そこで人はいつのまにかうとうととまどろんでしまう。

それは、みんなが安らぐ自然に他ならない。

最後に、病院のお母さんに届けられたトウモロコシは、現実と非現実を区別している限り、幻の存在にすぎない。
しかし、アニメを通して、「トトロのいる自然」のメッセージを正しく受け取った観客であれば、人を元気にするトウモロコシを食べ、栄養を吸収することができるだろう。

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