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オイラーの等式を理解する思考過程の断絶(2)

 前の記事では、オイラーの等式についての語りの準備として、出てくる各数の復習を行い、普通に同じ数値を掛け合わせるようなべき乗の計算が無理であることもわざわざ確かめてみました。今回は続きで、一般の複素数のべき乗であると考えた場合のその後の考え方を追ってみます。

一般の複素数のべき乗の形から考察を進める

 自然対数の底の複素数のべき乗という形式の複素数についても、一般の計算のルールで次のように解釈できますよね。

$${e^{a+bi} = e^{a}e^{bi}}$$

この式の中の$${e^{a}}$$は、特別な意味のない、とある定数なので、これを例えば$${ A }$$などと適当な単なるアルファベット1文字による定数に置き換えても計算の正当性は失われません。そこで

$${e^{a+bi} = e^{a}e^{bi} = Ae^{bi}}$$

等と書き換えてみると、自然対数の底の複素数のべき乗というのは、虚部のべき乗に、実部由来のなにか普通の数値を掛け算して$${ A }$$倍している様な値であることがわかります。
 オイラーの等式の左辺を省略無しに書くと

$${e^{0+i\pi} = 1\times e^{i\pi}}$$

の意味になりますから、これは$${e^{i\pi}}$$を1倍している、すなわち絶対値の観点では大きさ1の数である、ということになります。
 すると問題は、べき乗の虚部による$${e^{i\pi}}$$、一般に$${e^{bi}}$$が一体何を意味するのかということに集約されます。
 別にもったいぶらずとも、複素平面上で自然対数の底のべきの実部が原点から数値の位置までの長さすなわち絶対値を示しているのに対して、虚部の数値が複素平面原点回りの動径の偏角(実数軸正方向から原点を中心に反時計回りに増える角度)を表し、三角関数を介して一般の複素数を表示する際の$${a + bi}$$の形式での表現と結びつくことは、あまたの記述で世に知らしめられているわけです。しかし「教科書に書いてあるので」は論理のつながりがそこで切れてしまうことになりますので、その辺りをどうやったらうまくつなげられるのか、というところで、少し足踏みをするのが本記事の趣旨です。

定義ということで逃げるのが一番流れがよい

 一般に公開されている先達の皆様の色々な文章を拝読いたしますと、複素数$${e^z}$$の定義として決め打ちする記述はそれなりに存在している様に見えます。すなわち、$${z = a + bi}$$というここまでの表記に合わせて書き換えた後に、以下の様な定義を置くことで、

$${ e^{z} = e^{a+bi} = e^{a}(\cos b + i\sin b) }$$

$${b}$$が複素平面上での複素数の偏角とすると、絶対値$${e^a}$$偏角$${b}$$の複素数を表す、$${e}$$の肩に数字を載せるだけで統一的記述と計算が可能になる、便利な表現の完成というわけです。
 確かにその通りで、ここはべきの複素数の定義とオイラーの関係式の導入で終わりにしておく方が、表記や利用の上では広い意味でのコストパフォーマンスに優れたやり方であると、筆者も考えます。

論理的断絶の両側から接近して比較する

 一般的形式で表現した場合の複素数$${c + di}$$(aとbの重複使用を避けてcとdにしましたが意味は同じです)について、これの絶対値を$${r=\sqrt{c^{2} + d^{2}}}$$、偏角を$${\theta}$$とした場合、$${cもdもrと\theta}$$で表現できて、これが

$${r(\cos\theta + i\sin\theta)}$$

の様になります。偏角と動径の長さ(絶対値)で書き換えてはいるものの、もともとの$${c + di}$$と全く同一の数値に関する、極形式による別表現です。
 その一方で、先ほど来話題にしている$${e^{a+bi}}$$の方については、べきの表現での複素数の定義を使って書き下せて、

$${e^{a+bi} = e^{a}(\cos b + i\sin b) }$$

でした。この形式は、既に記述した様に$${e^a}$$が単なる定数で他のアルファベットに置き換えて表記することも可能であることを考慮すれば、上の通常の複素数の極形式での表記にある$${r}$$に相当していることになり、これらの式が同一の形式であることがわかります。
 故に、通常の複素数の表記からの式変形で近づいた結果の表現と、$${e^{i\pi}}$$に端を発している、べきで表現された複素数から定義として変形することで近づいた結果の表現が、同じ形式に到達してピタリと隣り合って相まみえることになっているわけです。
 しかし、途中の論理で定義を用いている為に両者はつながってはいません。右側からここまでの道と左側からここまでの道はちゃんと存在しているのに、この1点で密着して隣り合ったまま、しかしプッツリと途切れている、そんな違和感(個人的なという意味で)とでも申しましょうか。
 というわけで、次の記事では、この違和感の解消について考察します。


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