見出し画像

オイラーの等式を理解する思考過程の断絶(3)

 前の記事では、オイラーの等式の前提となる自然対数の底のべきの形の複素数に関する定義と、一般的複素数の極形式への変形の両者からアプローチし、両者はまったく同一の形式に至ることに触れました。しかし、片側で定義による式変形が使われている為に、この筋での考察では論理の断絶が存在することになってしまう旨の疑問に到達する所まで、お付き合い頂きました。今回はその先の考察です。この一連の記事全体も、しっくりこないまま今回で終了です。

論理を両側から確認

 改めて、もう一度並べてみましょう。
 一般の複素数について、絶対値を$${r}$$、偏角を$${\theta}$$とした場合の表記は次の様なものです。

$${r(\cos\theta+i\sin\theta)}$$

そして、$${e^{z}=e^{a+bi}}$$の様なべきの形の複素数に関する定義は、次の様になされています。

$${e^{a}(\cos b+i\sin b)}$$

この2式を比較すると形は一致しているのですが、一部定義を使っている為に論理の断絶が起こっており、そこを定義に頼らずつなげて、論理の道筋を完成させたいという欲求がなかなか、筆者の心をもんもんとさせているわけです。
 そして確認ですが、べきの複素数の定義であっても、また一般の複素数の極形式での表現であっても、それぞれ$${e^{a}なりr}$$なりに$${1}$$、$${bなり\theta}$$なりに$${\pi}$$を代入すると、これがそれぞれ複素数の絶対値$${1}$$及び弧度法による角度180度という幾何学的意味を持っていて、従って$${e^{i\pi}}$$は絶対値1で偏角180度の複素数ということで実軸上の数値である-1になるわけです。  

両形式の計算上のふるまいの比較

 ひとつの参考として、べきの形式と極形式の双方による演算のふるまいの一部を確認してみます。
 四則演算を見てみたいのですが、減法除法は加法乗法と同一ですので不要、加法が自明ということで、乗法を取り上げてみます。
 複素数$${e^{a+bi}}$$と$${e^{c+di}}$$の積は

$${e^{a+bi}e^{c+di} = e^{(a+c)+(b+d)i}      (1)}$$

であることは自明です。これをべきの複素数の定義に従った形式で全体を書き換えてみます。すると、

$${e^{a}(\cos b+i\sin b)e^{c}(\cos d+i\sin d) = e^{(a+c)}(\cos (b+d)\\ +i\sin(b+d))      (2)}$$

が成立しなければならないことになります。(2)は条件の提示であり、これが成立すればいいんですがどうですかね、という話題のふりです。まだ成立が確定していません。
 それで、どうですかね?
 (2)の左辺を実際に計算すると次の通りです。

$${e^{a}(\cos b+i\sin b)e^{c}(\cos d+i\sin d) = e^{a+c}(\cos b\cos d - \sin b\sin d + i(\sin b\cos d + \sin d\cos b))      (3)}$$

 (3)の右辺と(2)の右辺を比べてみますと、何のことはない、三角関数の加法定理そのままの関係になっています。従って、極形式での複素数の積では(2)は成立することがわかりました。
 (1)はもともと成立していますから、故に$${e}$$のべきの形式での複素数の積である(1)と、べきを定義によって極形式を用いた形式に書き下した(2)式とは、まったく同一形の式変形が成立していることになります。
 (2)の形式がもともとの複素数の極形式として成立していることとあわせて、(1)の様なeのべきによる複素数の記述が演算も含めて複素数の表記方法として無矛盾に成立していることが、証明ではないのですが、直感的に理解できるような例示がなされたわけです。

結論あるいは放棄

 ここまでの考察で、$${e}$$のべきの形式の複素数は、定義により書き下した極形式と、乗法の計算でまったく同じふるまいをすることがわかりました。この他、加法は自明であり、減法と除法はそれぞれ加法及び乗法に含まれますから、結局四則演算に関して両表現による複素数の演算上のふるまいと演算結果は一致することがなんとなくわかりました。これ以上踏み込みませんが、おそらく四則演算以外も同様に同一のふるまいになるとみてよいでしょう。
 つまり、筆者の認知可能範囲における状況証拠としては、ますます、べきの複素数の定義

$${e^{a+bi} = e^{a}(\cos b+i\sin b)}$$

が正しく、複素数の記述の形式の定義として適正であることが示唆されます。
つまり、ここでもしも

「定められた数式の操作によって同一の結果となる様な、異なる複数の数的表現は、同値である」

が証明されているのならば、筆者のすべての懸念が吹っ飛んで筆者個人は安心して眠れることになるわけです。しかし、過去の私はここまでで考察を終了し、今に至るまでその先を考えておりません。そこまで深堀しなくとも、技術的には仕事に影響ないですからね。
 多分正しいアプローチの入り口は別にあるんでしょうね。そして、わかっている方にとっては明白な問題なのであろうことも、なんとなく理解しております。
 といったところで、正しい議論は世の識者の皆様にお任せして、今回は(も?)何も解決せずに終了させて頂きます。

サポート頂ければ大変ありがたく、今後の記事作成の励みとさせて頂きます。