【メンタル】所詮は他人、いちいち真面目に受け取るな

仕事、妊娠、出産、育児を経ながら、メンタル不調を乗り越えた経験者として伝えられることがあるかもしれない。

「みんなそう(同じ)よ!」

コロナ禍に出産し、子どもとの生活に慣れた頃、市役所へ行った。

保育園の入園手続き資料を入手できないかと思い、保育課の前で足を止めた。

育児相談員という方から、資料を受け取ることができた。

が、この時、「初めての子育てはどう?」に始まり、何か『困りごと』がないかと、矢継ぎ早に質問された。

『困りごと』が全く無いわけではない。

近くに頼れる人はおらず、親に手伝いを頼むどころか、まだ一度も子どもを会わせていない。

易々と行き来できる距離ではないし、加えてこのご時世、高齢の両家両親にそんなことは頼めない。

子どもはよく眠るタイプで、夜泣きも少ないが、夫婦二人体制でも、さすがにフラフラだ。

馴染みのない土地、初めての子育て、コロナ禍の三拍子で、基本的な情報はネットから、という調子である。

それに慣れてしまうと、初対面の方にわざわざ個人的な『困りごと』を話すまでもない、という考えに至り、一言二言で返答した。

しかし、私たち夫婦が保育園に関する情報を満足に得られていないことは悩ましい問題であった。

感染予防のため、ほとんどの園が見学中止や休園等で訪問受付を見合わせており、電話やメールでの問合せと、ネットの口コミが頼りだった。

徒歩圏内は子どもの散歩がてら様子を見に行ったが、園の外周が全て、覗き見不可のフェンスで覆われていたり、多数の防犯カメラがあったりで、不審者に思われては困ると思い、すぐさま退散した。

市役所ならば定期的に訪問している人がいるだろうから、何か情報が得られないかと思い、ふと、口をついて出てしまった。

「保育園の情報を得たいのですが、見学中止や休園もあって、訪問できずにいます。ネットの口コミだけでは不安なので…」

と話したところで一言、「みんなそうよ!」

なぜだか分からないが、突然突き放されたような気持ちになった。

共感している"風"なだけ

この日の天気と同じような、どんよりした気持ちを抱えて帰路に着いた。

なぜだろう?と考えた結果、私が辿り着いた答えはこれだ。

『共感しているようで、していない』

「みんな」という言葉を使うことで、私に"共感している"という意思表示をしているように見えるが、私の『困りごと』は解消されていない。

むしろ、期待とは裏腹の言葉に不安を煽られ、自責の念に駆られてしまった、と解釈した。

それを以下に示す。

  • 手を尽くしているつもりが、全く足りていないということなのだろうか

  • みんなはもっと工夫して必死にやっているのに、私は全然できていないということなのだろうか

  • これくらい普通なのだから、困りごとのうちに入らないということなのだろうか

気にしなくていい

なるほど、だから、突き放されたような気持ちになったのかと思うと、少し気持ちが軽くなった。

勝手に期待して、つい口から不安が出てしまったが、所詮は他人、いちいち気にしなくていい言葉だってある。

どんな言葉も、受け取らなければ、自分のものにはならない。

所感

もしかしたら、この方は私の状態に本気で共感し、私の不安が少しでも軽くなればと願って、この言葉を掛けてくれたのかもしれない。

しかし、当時の私は暗中模索、一方で、夫に一つ一つ教えながら、眠たい・身体が痛いと、フラフラだった。

家族には、出来ることはやってあげたいと、ただただ必死だったが、これでいいのかと、不安に思うこともあった。

残念ながら、これらの不安を増幅してしまう出来事に遭ってしまった。

『所詮は他人、いちいち真面目に受け取るな』

なんでもかんでも、無差別に有り難がって受け取らなくていい。

以上

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