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定年からの人文系大学院生~定年後の生き方を考える(その5/おわり)

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大学院入試を受ける

大学院入試の場合、研究計画書と並んで重要なのが面接だ。私の場合、面接官3人対受験生1人だった。そのうちの1人は指導教員をお願いした先生で、面識はある。他の2人は初対面。簡単な志望動機や経歴の説明の後、主に研究計画書の内容について尋ねられる。

圧迫面接というほど強い言い方はされなかったが、プロの研究者から見ればこちらの研究計画書に突っ込みどころはいくらでもある。単なる説明を求める質問であれば落ち着いて説明し、計画の不備については、素直に受け止めて今後検討していく旨を回答する。

最後の質問では、急に英語で質問され、少し戸惑ったが、なんとか英語で回答した。専攻が英語学なので、英語での面接も想定して想定問答も作っていたのだが、それまでずっと日本語で進められていたので油断していた。

後から考えると、研究者としての資質もさることながら、入学後の研究指導でちゃんと指導に従う人物かどうかも見ていたのではないか。入学する側から見て教員との相性は大切だが、指導する教員の側から見ても同じことだ。

せっかく入学させた学生が指導に従わないで研究に挫折するようなことは避けたいだろう。だから、面接で研究計画に突っ込まれて、ムキになって反論したりすると不合格になるのではないかと思う。

これは面接の場だけ取り繕えばよいという問題ではなく、そもそも指導に従う気がないのならその大学院に入学するべきではないだろう。面接の場であっても相性が悪いことが判明したのなら考え直した方がよい。

なお、私の時はコロナ禍のため筆記試験については例外的な措置が取られていた。通常時に戻ると参考にならないと思われるので記載は省く。

ハラハラドキドキしながら約2週間後の合格発表を待った。そして、無事合格できたのだった。大学院入試は大学によって出願、試験の日程がバラバラなので、スケジュール的にはもう1~2校受験することも可能だった。合格した大学の先生が一番自分の研究計画にぴったりしているので、他校への出願は見送った。

合格発表まで、会社に対しては再雇用の希望の有無を正式には返事をしていなかった。万一、不合格となった場合、ブラブラするくらいなら仕事を続けた方が良いと考えるかもしれない。合格したので晴れて会社に再就職は希望しないことを告げた。

還暦大学院生の誕生

そして晴れて入学式の日を迎えた。キャンパスには桜の木がたくさん植わっていて、入学を祝福するかのように咲き誇っている。子どもがいないのでこれまで自分自身の入学式以外には出席したことがない。社会人になってから少し勉強が好きになったので、大学の通信教育に入ったことがあった。入学式に出るのはそれ以来で24年ぶりだ。しかし、サラリーマン時代と同じスーツネクタイ姿で来た私は、どう見ても新入生の父親にしか見えないだろう。

周りは普通の大学新入生とその保護者ばかりで、自分の場違い感を意識してしまう。入学式の会場に入ろうとしたら、「保護者の方はあちらです」とか声を掛けられて別室に誘導されてしまうのではないだろうか。しかし、そんな心配は杞憂に終わり、無事新入生として入学式に出席し、大学院生活が始まった。

授業でも珍しいものを見るような目で見られはしないかと思ったが、社会人学生自体はちらほらといるので先生方は慣れているようだった。人をじろじろ見るようなお行儀の悪い学生もいなかった。徐々に過剰な自意識は薄れていった。

そして、その後は、定年後の大学院生だからといって特別なことは特になく、若い同級生にも適度に付き合ってもらいながら学生生活を楽しんでいる。自分にもし子どもがいたとして、それよりも若い年代の学生と一緒にグループ発表をすることもある。大学院生として生活するうえで同級生たちと大きく違うのは修了後の就職の心配をしなくてもいいことくらいだ。

改めて感じるのは、自分で選んで本当に好きなことをするのは苦にならず、楽しいということである。もちろん研究の中には努力や忍耐が必要な作業もあるが、それを辛いと感じる程度が違う。

仕事が人生で一番好きでやりたいことだという人は、趣味と実益が一致していてとても幸運だと思う。大学院生としての研究生活は他人の役に立つのかどうかはっきりしないし、お金が出ていくことはあってももらえることはない。仕事には仕事の良さがあることは間違いない。


このシリーズはひとまずこれで完結です。お読みいただきありがとうございました。
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