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人間の能力とかシンギュラリティとか

ウチの法人で中堅スタッフのメンタル不調がありまして。

仕事が原因ではないもののパフォーマンスは明らかに低下。私は「スタッフに何があっても守る」と公言しているのですが、別の職員から待遇とのバランスや解雇ついて意見具申をいただきました。

キリのいいタイミングまでの待遇維持を前提に本人と面談を重ね、一般スタッフと同等に待遇を調整、ご本人から働き続けたいとの意志を確認して現在も頑張ってもらっています。

そこで想定外の事態が発生。意見具申してきたスタッフご自身、ご家族の事情によりパフォーマンスが大幅に低下。
私は何も変わらない対応でしたが、先例もあり不安はなかったとのことで無事復活してくださいました。当時は仕事と待遇のバランスを私が即座に調整しなかったことに疑問があったようですが、ご自身が課題に直面してわかることがあったとのこと。

そんなこんなで思うこと。

そもそも人間に仕事の能力の差ってそんなにあるのでしょうか?よく仕事ができるとかできないとか言いますけれど「自分は仕事ができる」などと思ったり他者を責めたりすること自体、驕り高ぶりかもしれません。
ウチの法人では障がいのある方もお勤めいただいておりますが、それもまた同じこと。
シンギュラリティ(AIの能力>人間の能力)の時代が叫ばれて久しいですが、誤解を畏れずに言えば人間の能力や生産性など、AIを生み出すような一部の方を除けば大差ないと考えますし、状況によってパフォーマンスが上がったり下がったりすることも当たり前にあるでしょう。

また、組織論で最近流行りの心理的安全性という言葉があります。適度な緊張感を保ちつつ是々非々で意見交換できるような環境と理解していますが、個人主義的な社会だからこそ強調される話だと感じます。
共同体的な力学が根強く残る、いわゆる地方においては自分自身や身の周りになにがあっても安心して働き続けられる、まずはそんな意味での心理的安全性の方が大切になるのではないかと。

効率化ばかりが喧伝されコロナ禍もあり一層ギスギスしていますが、お互い支え合いながら笑顔で働き続けられる職場や地域を創り維持していくことこそが地道ながら地方を元気にしていくのかもしれません。仮説検証の日々。

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