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どんな感情を持ってもいいのだ

降園時、娘がお友達に家に来てほしいと伝えに行った。
友達も行くねとなっていざ我が家へとなるはずだった。


しかし、お友達が家にやっぱり帰ると言い走って行ってしまった。


娘は泣いた。
ここに行き着くまでの一連の流れを見ているとなぜお友達が急に気持ちが変わったのかは分かった。
お友達なりの理由があったのだ。


娘もそれが分かったようでお友達にいくつかの提案を持ちかけた。
が、受け入れてはもらえなかった。


お友達が家に来てくれない事が悲しかったのだろうか?
提案が受け入れられなかった事が悲しかったのか?

娘に尋ねると一度は約束したのに守ってもらえなかったのが嫌だった。
遊びたかったと泣いた。


帰宅途中、ポロポロと涙を流していたが玄関に辿り着いた途端声をあげて泣いた。


私は以前ならお友達を思いやるよう理解してあげるよう話していた。
お友達なりの理由があるし、無理強いは出来ないと。

もちろん今回も一度は口にしたが、一度でやめた。


そんなことは娘はわかっているのだ。


それでも悲しかった。
嫌だと言う気持ちでいっぱいなのだ。
母親である私が出来ること。


それはただただ娘の気持ちに寄り添うことだ。



そんなん思っても仕方ない。
相手の子のことをわかってあげなさい。
ワガママ言っても仕方ない。



そんな言葉は要らんのだ。


悲しかった。
約束守って欲しかった。
ただ遊びたかったのに。
そのまま受け止めてあげたくなった。



相手を思いやること、想像し受け入れることはもちろん大事だ。


しかし何よりも大事なのはその時感じた感情をありのまま受け入れることなんじゃないかと思う。



これは我が子だけじゃなく母親である私もそうであっていいのだと気づかせてもらえたように思う。



母親だから、大人だから、何歳だからは関係ない。
悲しいなら悲しい。
嬉しいなら嬉しい。
どんな感情も持っても良いのだ。



そうやってどんな自分も受け入れるからこそ他者を受け入れる余白が出来るのだと思う。



帰宅後しばらく玄関で泣く娘を抱いていた。
落ち着いたのか自分なりの納得が出来たのか立ち上がって振り向き様に、めちゃくちゃブサイクな変顔をし踊り始めた。



とてつもない回復力。
私には真似出来ない切り替えスピードだと笑ってしまった。



しかしこの顔を見て安心した私がそこにいた。


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