自分嫌い脱出の第一歩は問いかけだった?
好きな色は何ですか?
好きな食べ物は何ですか?
好きな映画はありますか?
3年前、私はこの問いに答えるのにとっても苦労した。
そして、3年前、私は私が嫌いだった。
そんな私が、今では人から何て言われるか。
自分を持ってる人。
スパンと決めれる人。
はっきりしてる人。
愛情深い人。
ガサツに見えて、中身はとても繊細で思慮深い人。
そして、現在、私は私がけっこう好きだ。
もうすぐ今年が終わる。
そう思い、棚を整理していたら、昔の日記やいろいろと学んだことが書き記されたノートが出てきた。
そのノートで私は、本当にたくさんの問いに答えていた。
今、見ても思う。
3年前の私は、とにかく自分が嫌いだったんだな、と。
心底、誰か別の人間になりたかったようだ。
このノートからも、うかがえる。
毎日必死にもがいて、理想の誰かになりすまし、苦しく足掻く様子が。
理想の妻になろう。
理想の母親になろう。
とにかく、自分ではない何者かになろうとしていたのだ。
そんな自分から、一歩進ませてくれたのは、何だったのだろう?
それは、自分を知ることだったように思う。
とにかくたくさんの問いに答え、いろんな角度から自分を見た。
自分と、とことん向き合う作業をやったのだ。
そして、いかに自分ってものを知らなかったのかを、まず知った。
それから、3年という月日をかけて少しづつ少しづつ、こんな自分も悪くない。
そう思えるようになっていった。
今、現在。
3年前の私のように、自分が嫌いで嫌いで仕方ない人は、どのくらいいるのだろうか?
ふと、過去の自分が書き記したノートを眺めながら、そんな疑問が湧いて出た。
その人たちは今、何者として生きているのだろう?
苦しくはないか?
モヤモヤと何かがある感じはしないか?
言葉に出来ない苦しさを、一人で抱えてはいないだろうか?
3年前の私のように。
私が、その誰かを救うことは決して出来ないだろう。
しかし、その人たちが言葉に出来ない感情を、私が言語化することで、そうかもな、なんてそっと寄り添うような投稿がしてみたい。
欲を言えば、少しでも一歩を踏み出すヒントになる記事を投稿してみたい。
おこがましくもそう思ってしまった。
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