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映画『ソウ』感想(ネタバレなるべく減らすつもり)

人に勧められて観ることを決めたのですが、以前より、ソウの人気は知っていたものの、所謂ホラーと言うものは敬遠していて、なぜかというと、ホラーと言う謳い文句は、あなたを驚かせます!と最初から言われている気がして、短略的なのではないかと言う偏見があったからなのです。

ですが、せっかく私みたいな人間に関わってくださったのだから、その方のおっしゃることは参考にせねば、生涯孤独になりかねんし、観ようと言う結論に至って、観たのである。

ネタバレはなるべくしないように書きますので、映画という娯楽に興味をもっていただければというふうに書かせていただきます。

まず、映画やドラマで描かれる殺人描写について。

大前提、殺人ってのは、非現実的。殺人を犯したことのある人間って、かなり少数な為、その人、その殺人を犯す人物に、自己投影するにあたって注目するのは殺人をしたい、人を殺したいと思える人物がいる、殺意がある状況に陥ったことのある必要がある。
逆に殺されかけた、殺されるかもしれない経験をしたことがなければ、作品を理解するのに苦労するだろうし、まず興味すら持たないのでこの映画にかかわらず、殺人に関わるような映画を見るようなことは少ないと思う。

だが、創作物として観るだとか、新しい価値観を知る、新しい経験に時間を投資するという感覚で観てもらいたい作品だ。


殺人描写が出てくる作品につきものなのが、サイコパスな殺人者。


さあ、皆さんはサイコパスな人物に対してどんな印象をもっているだろうか。

理解不能?
理解する必要がないから、観る価値や、考える価値すらない?

では、質問を変えてみよう。
天才と呼ばれていた人物に対してどんな印象をもっているだろうか。

恐らくサイコパスと同じような印象であり、且つ、理解に努めて、ご自身も天才のかけらを持ち合わせていないかを考えたりすることがあったりするのではないだろうか。


私は、理解不能な人物にぶち当たった時は、なるべく理解しようと努力して、コンタクトを取れるのならば、コンタクトを試みて、自分の理解の範疇の中に収まるのか、自分自身が実践可能な思考や行動はないのか、その思考や行動によって、自分自身が豊かになる。もしくは他者が豊かになるカケラがないかを探してしまう。


なぜこのようなことを書いたかというと、新しい価値観、思考に出会った時、思考停止になって、理解する必要がない。と諦めてしまう人間に物申したいからである。

新しい経験をして、視野を広げたら、なああかいいことあるかもよ
って、生意気だけれでも言いたいの。

それだけ。

以上。
最後まで読んでくれてありがとう。

よろぴく!