たられば。
こんな本を読んでいた。
学生さんたちが素材を一から手造りし最後はカレーライスを・・・という一冊。
内容はもちろん面白い。田舎に、山に住むともはや当然とも思えることも学生さんにとっては新鮮なわけでそれを読むこちらも新鮮。
もちろん新たに学ぶこともある。
そしてカレーといえば一般的に「肉を入れよう」となり肉も手造り・・・となると当然ぶち当たる「育てる・屠る・食べる」という問題にぶち当たるわけだ。
いわく、食べるために育てたのだから。
いわく、情が移って。
いわく、いっそ肉は使わずに。
ああだったら、こうだったら。
いや、この議論に正解は無いのだ。それはわかっているのだ。
みな思うままに、自分の一皿を選べばいいのだ。みんなでやる、ことが難しいし意味があるのだ。
ただ何となくこの時自分は「学生さんたちの議論を少し離れて眺めるおじさん」の目でこの章を読んだ。
そこでぼんやり考えたのが「自分の正解を人に押し付けるのは最低だし、醜いな」なんてこと。
押しつけの正義。
歪んだ自己顕示欲。
SNSなんか眺めていると”自分の場所”は持たず”人の土俵”(トピック)で人の意見に対しNOというだけの人がとても多い感じがします。
それは自分ですればいいのに、と思っています。オレん家じゃなくて。
せっかくそれが出来る環境になったのな・・・なんて。
主張するのは間違いじゃない。反論ももちろん。
でも、まずあるべきは”自分の場所”であってほしいな。あとは穏やかに緩やかに、絡み合っていけばいい。いきなり人ん家あがってってこうしろよ!ってぇんじゃなく。
それが一方的・短絡的であればロクなことにはならないのかな。(最近そんな国の選挙を見た気もします。)
発信者として、自戒を込めて。
あ、画像ははじめて使ってみましたnoteが用意してくれた画像。
カレーじゃなくてポルトガルの”ぶっかけめし”です。
また行きたいなぁ。ポルトガル。
→2024.1.8 いつの間にか削除されていたので変更しました。
http://www.coldmountainstudy.com/
coldmountainstudy@gmail.com
coldmountainstudy 店主:鳥越将路
よろしければサポートをお願いいたします!いただいたサポートは蔵書中心に本屋としての体力づくりに使わせていただきます。