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メガネに負けた日


テレビニュースを見て驚いた。

「遠藤周作で詐欺」


思わず二度見。
「え?遠藤周作でサギ?あの小説家の?」
どういう事件なん!?

電話で『オレオレ、遠藤周作だけど』とお年寄りをダマした?
んなワケない…?

頭が混乱しつつ、よーく見てみると、

遠隔操作えんかくそうさで詐欺」

なーんだ。
パソコンで誰かを「遠隔操作」して何かをしたサギだった。
「遠藤周作」と
「遠隔操作」‥‥。


数年前、やたらと見間違いが多くなり始めた時期があった。


「ヘビーローテーション」と書いてあるボトル。
そんなに酷使しなきゃいけないものなの?
よーく見ると、
「ベビーローション」


子どもの絵本に「タリバンを叩く」
米軍の侵攻?ずいぶん物騒な絵本だな。
よーく見たら
「タンバリンをたたく」


い、いや、違う、違います。
これは、「ろ〇がん」なんかじゃありません。
きっとこれは、今ハヤリの「スマホ目」です。
そう、そうに違いない。
スマホの使い過ぎです。きっと。
ずっと画面を見ていて、ふと目を上げると焦点が合わない、スマホ目。
お願い、そうだと言って。


確かに地下鉄でスマホを見ていて、
駅のホームに降りたとき目を上げるとボヤ―ッ。

向こうから階段を降りて来る「男性」を見て驚いた。
胸元が女性以上に豊満。異様なまでに大きな「谷間」が。
えっ?どういうこと?

よーく見たら、

イヤホンのコードがYの字になってただけ…。


自分が情けない…。


これば絶対、スマホ目。
決してろ〇がんなんかじゃない。


挙句の果てには、
渋谷の「渋」という文字が、プレデターの顔に見えてしまう始末。

©20世紀FOX




重症です。



家においてあったパンを食べたら、とても珍しい納豆パンだった。
パンと納豆、意外にもマッチしてまあまあイケるかも。1つペロリ。
その日の夜、家族が「これ、いたんでるじゃないの」

1週間前のチーズパンが糸を引いていただけだった。

しまった。
ついには命の危険まで迫ってきたぞ。
明治・大正時代の寿命は43歳だったというのも頷ける。


しかし、ボクはどんな危機に見舞われても、折れなかった。
頑なに裸眼を通した。


だって、目が良いことが唯一の自慢だったから。
ずっと視力2.0。小学校の視力検査でヒーローだった。
羨望のまなざし。優越感。一生忘れられない恍惚の時。

遠くから来るバスの表示が誰よりも早く読めたし、
服を買いに行っても、ショップの店員さんに気づかれないよう値札を瞬読した。

たとえ、
銭湯で裸のとき地震が起きても、
誘拐犯に後ろ手に縛られても、
『メガネがなくて困った…』なんてリスクは決してボクの人生には無い。
それが誇りだった。

あの固い針金みたいな異物を顔に装着するのがイメージできなかった。
いやいや、勘弁してよ。メガネなんて。のび太みたい。きっとエレガントじゃないさ。ボクの美学には似合わないのさ。
戯れにかけてみたら、鏡に映るその顔が母ちゃんだった。



(※イメージです)
©ASH&Dコーポレーション



でも
そんなある日のこと、
当時まだ小学生だった娘が「はい、パパ」と手紙をくれた。


喜び勇んで小さな封筒から出すと、バラバラの紙片が…



なにやら小さな文字も書いてある。

ん?パズル?

よしよし、パパが完成してしんぜよう。

だけど…


ぼやー

ぼやー

ぼやー


よ…読めない。

よし、気合いだ。
気合いで見えるはず。
んぐぐぐぐぐ…

ぼやー

ぼやー

うーん。

これじゃ、パズルが…。


神様…ボクを見放しになるのですか。
もはやこれまでか…今までの非礼を詫びてメガネに土下座するのか…

い、いや、それでいいのか?今まで守ってきたのは何だったんだ?
この弱虫めが!


ふと、となりの娘を見ると、
ニコニコ笑顔でボクがパズルを完成させるのを心待ちに見守っている。


その笑顔も、ぼやー


し、しまった。ここまできたか。
パズルは百歩譲ってもいい。
しかしだ、娘の顔がハッキリ見られなくていいのか?
今のこの瞬間、この年頃の娘の顔は見逃せば一生戻ってこない。
それでいいのか!?自分!
後悔しないのか!?自分!


気がつくと、
ダイソーに急いで走っていた。


息を切らしメガネを手にとると、安いプラスチックのレンズがキラリと光って言った。

『いいのかい?さんざん私を愚弄しておいて、こんな簡単に敗北を認めるのかい?』

おのれ…この場で叩き割ってやろうか。
い、いや、ダメだ。家で楽しみに待つ我が子になんて言えばいいんだ。
わかったよ。わかった。悪かったよ。

『そうかい。分かればいいんだ。気にするなよ。娘のために潔く負けを認める…あんた素晴らしい父親じゃないか。リスペクトするよ。』

メガネ…お前、
意外といいやつなんだな。

謎の友情も芽生えたところで、心は決まった。


フレームを持ち、おそるおそる顔をスべリこませたその瞬間、
雲間から光が差して天使が舞い、
突風が顔を駆け抜け、
カメラがボクにズームインした。(イメージです)

110円でこんなにクリアな世界が手に入るなんて…


神様ありがとう。


かくして、いとも簡単にパズルは完成した。



そこには、一生懸命綴ったであろう我が子の言葉が…。


”またいっしょにあそぼうね”

”いっぱいぎゅーしてね”

”パパ、大大大大だいすき”


幼き無垢な愛に満ちた言葉たちが、
激しくボクの心を揺さぶって…魂が震えた。

胸に熱いものがこみ上げ…止まらない…


あれ…
おかしいぞ
また文字がぼやーっと…

なんだよ、メガネかけてるのにな。
ぼやけてしかたがない。

水中のようなゆらめきで、
文字がキラキラ輝きながら歪んだ。
うつむいたレンズにポトリ、
またひとつポトリ。



それは、ボクがメガネに負けた日だった。

だけど、とても清々しい敗北だった。



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