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私の「山頂」……「まあ、よかったかな」と思って死にたい。

「迷ったら山頂を目指せ」の山頂って何だっけ

前回、途方に暮れつつ、超人類的先輩の言葉「迷ったら山頂を目指せ」を思い出した私。

そうだそうだ、だから今は周りの景色が変わらないように見えても、見通しがなくても、足を動かして前に向かおうじゃないの、そうじゃないの!……とみょーに何かが解決した気になって、お饅頭を食べてぐっすり寝ました。

しかし、翌朝。

私が目指してるという、「山頂」って何だ。

クリアになった頭に、そんな言葉がヒュオンと浮かんできました。

そういえば、改めて考えてみると、ここで私が考える「山頂」とは、「成功」とか「達成」とかそういう方向性ではないな、と気づきました。私にとって「山頂に到達した!」という時は、「死ぬ瞬間」かもしれません。

「まあ、よかったかな」と思って死にたい。

そういえば、子どもの頃、「まあ、よかったかな」と思って死にたいと、このことだけははっきり決めてました。最後の瞬間の心のありようが、自分にとって生きるその先にある大切なことだったのです。

これですよ、これ。私の「山頂」は。

そうすると、私は今46歳ですから、女性の平均寿命フル活用でいけたらあと40年ってとこですよね。あと40年で、そう思えるように生きていけばいいんだってことです。

「よかったな」じゃなくていいんです。「まあ、よかったかな」です。
これはなかなか深いですよ。子どもの頃の私、頭いい。

いじめられたりしてなかなかハードな日常を送っていたこともあり、今以上に達観していた私は、気づいていました。「人生とは苦である」と。いいこともあるけど、苦しいことも多いぞ、と。

苦しいことが起こるのは、悲しいことではない。必然なんだ。
だから、苦しんでも悩んでも、絶望はしなくていい。

ということです。ぐるっと回って辿りついた、ある意味究極の楽天的思考と言えるかもしれません。

「山頂」に向かうために、今できることを考えよう。

……こうして、私の「山頂」は、「まあ、よかったかな」という「心の状態」を目指すという意味で、ものすごく曖昧、しかし「死ぬ」瞬間なので、絶対的な終着点であることが、よくわかりました。

しかも、仮に40年後と言いましたけど、交通事故でぽっくり、ということだってあり得ますから、「まあいいか」と絶えず思っていられるよう頑張ったほうがよさそうです。

ということは、先のことを考えることも大切ですが、「今」のことをもっと考えた方がいいということかも。さあ、どうしましょう。

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