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先輩は「迷ったら山頂を目指せ」と言った。

答えは自然の中にある(たぶん)

以前勤めていたアウトドア系出版社では、あらゆる自然に適合した超人みたいな、貴重な野生動物みたいな先輩がワラワラいました。

中途で採用された私は、完璧に場違い。しかし、マニアックなものに突っ込んでいく性癖や、極まった人に対するリスペクトの強さといった「性質」が、体質的にドンピシャ。貴重な野生動物に出会うようなワクワク感でもって、出勤していました。

先輩方の多くは(ほぼ)野生動物なので、入社してしばらくは、警戒されて距離を置かれていましたが、「生きものとしてはそれも当然だよな~」と思ってあまり気にしてませんでした。生きものとは、本来そういうもんです。

予想通り3カ月ほど経つと、だいぶ馴染んできて、週末に低山ハイクに連れていってもらえるようになりました。

自然の中で、初心者の私に先輩がまず教えてくれたのが、

「山道で迷ったら、下るな。山頂を目指せ」

ということでした。

生きていくために必要な感覚

もちろん条件によってはいろいろあるのかもしれませんが、初心者には最も重要なポイントだったろうと思います。

迷うと怖くなって、川筋に降りていこうとしたり、沢にそってくだろうとしますが、水の側は危険です。山の天気は予測が難しいですから。
そして、コワいからと山を下るよりも、山頂を目指したほうが、上空から発見されやすいわけですよね。

なるほど……。
ほんと、その通り。

当然と言えば当然なんですが、街の中にいるとこういう感覚を忘れてしまう気がします。「生きていくために必要な」感覚。先輩たちには、この感覚がばっちり備わってました。彼らは自然の中で極限を知ることで、生きものとしての感覚をしっかりと持っているんだろうと思います。

ちゃんと生きて、ちゃんと死ぬために

今年になっての自分の途方に暮れ感を考えますと、つまりはこの感覚が極限まで低下してるってことじゃないかと気づきました。

いかんいかん!

しかし。
そんなふうに、迷いながらも1点だけ、わかっていることがあります。

それは「ちゃんと生きて、ちゃんと死にたい」というのが、自分の希望だということ。

そのためにはどうしたらいいのか。
このことを、今こそ具体的に考える必要がありそうです。

「自然」と言うのは、外側にあるものだけではありません。私自身が自然の一部なんですから。内なる自然にしっかりアクセスしないと。

「ちゃんと生きて、ちゃんと死にたい」と思うことは、そこに至るための重要な鍵かもしれません。

そして、こんなふうに迷っているときこそ、山頂を目指そう。
下るのではなく登る!……のです。

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