ネガティブ応援、卒業宣言!【子育て懺悔録】

夫と私の両親は遠方に住んでいた。
夫の両親はアメリカ、私の両親は九州。
育児をじいじとばあばに頼ることは、殆どできなかった。

子どもたちの年齢は、ほぼ1歳差。
同じようで若干違う成長を遂げていく2人の育児を、私とパパで何とか分担していかなくてはならなかった(それはそれで気楽なところもあったのかもしれない)。

忙しくても、お弁当は用意した。
参観やイベントにも出来る限り参加し、関われる範囲で企画にも関わった。習い事は、ピアノ、学研、水泳、新体操。

今振り返ると、明らかに肩に力が入りすぎていた。
それに気がつく余裕もなかった。
時計の針、戻せるものなら戻したいーそう心から願うほど、愚かな自分の言動を思い出すことがある。
できなかったことばかりではないと頭では分かっていても、私のはてな行動、まるで昨日の出来事のように。

その中の一つ。

ある週末の夕方、右手に息子、左手に娘の手を引き、雑踏の駅地下を足早に帰宅途中、数メートルおきに段ボールを敷いて寝そべっている人たちの光景が目に飛び込んできた。

繰り返すが、当時身近に頼れる人がごく限られていた。
そして「私が頑張らないで、誰が頑張るの!」と日々テンパっていた。

前置きがくどいが、家路を急ぐ中、こんな言葉が口をついて出た。


「ね、あなたたち一生懸命勉強しないと、ここで寝なくちゃいけなくなるよ。」


..... ドラマのスパルタママか?
まず親が言うべき言葉でないことは、ハイ、十分理解している、今は。
ただの気分任せの愉しでしかなかった。
気持ちが疲れていて、夕食を作らねば、朝時間通りに起こさねば、全てを終えて早々に私も床に就かねば!

そんなマインドセットな日々だった。

その時、娘が一言、言い放った。


「私だったら、自分の子どもにそう言わない。」


「じゃあ、何て言うんだよ??」


「『どうしたら家に住めない人を助けられるか、頑張ってたくさん勉強するんだよ。』こっちの方がいい」



ガビーン!



もう、恥ずかしいとか、反省とか、そんな言葉では言い表せず。
もう、何なら段ボールに隠れたい。
ママは本当に阿呆だわ。

でも気持ちの余裕がなくなると、余計なことが口をついて出るもの。

今しみじみ思うのは
「こうしないと、良くない結果が待っているよ」って、深い意図がないつもりでも、軽い恐喝だったなと。

そして、もう大学生の子どもたちへ。

 宣誓、ママは言いません!

「ほうらね、だからママが言ったでしょ?」なんてね。

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