独りぼっち

私の最初の夢舞台②犬吉猫吉を辞める危機-胃から血が出る人間関係編-

人生には大きな壁にぶち当たる機会が必ずくる。
私はどうやらそれが5年サイクルで訪れるようです。
でもそれは、その時の自分に必要な壁。

1回目はHと付き合っていた時
人生で初めてのことがたくさん起こり、自分の精神状態の底を知りました。

そして2回目は間違いなくこの時。
人生で初めて「人間関係」で悩んだできごとです。

今日は私を成長させてくれたこのできごとについて書こうと思います。
全5,634文字のnoteです。

それまでの私の「人間関係」

私は4人兄姉弟の3番目で、幼少期は団地で育ち、年齢の違う友達に囲まれて育った為に、人生において友達をつくる事も、人と仲良くなることも、その場に馴染むことも、苦労した覚えはそれ程ありません。

更に上の姉の繋がりで年上の人とも接する機会があったからか、上から下まで特に人との関係創りに苦労をせずに生きてきました。

女性の中には、小学校や中学校等でいじめられたり、女子から仲間外れにされた経験がある人もいると思います。

でも私は、小学校低学年の時は団地のメンバーや男の子たちと外で遊んでいたこと、バスケを始めたらそのチームのメンバー中心に遊んでいたこと、そして小学校高学年からは少年に転じたことなどから、そういう女子のいざこざや、もめごとに関わらずに生きてこれました。

女の子のすきな「一緒にトイレ行こう♪」にも加わらず、大抵授業の合間の時間はひたすら本を読み、中休みと昼休みは男友達と外に遊びに行っていました。

女子高の時は、仲良しグループと過ごしていたものの、私は女子高の中の男子枠。高校の時のクラスは3年間一緒でみんながとても仲が良かったので、女子の争いなどもなかったのです。

アルバイト先でも年配の女性に可愛がられ、人からいじめられたり、敵意を向けられることが全くありませんでした。そう、この時までは。。

人に敵意を向けられた初めての経験

編集部には私の他に女性スタッフが3人おり、編集の仕事を一手に担っていました。

仕事をし始めた頃は営業はほぼ私一人で行ない、その後イベントを中心とする営業サポートの男の後輩が1人入ったので、私はその後輩と一緒に仕事をしていました。

でも新規の仕事はほぼ私が担当する為、必然的に私がその広告の内容を持ち帰り、デザイナーさんと共に広告を制作していくことになります。その中のデザイナーさん(仮にDさんとします。)に完全に嫌われていたのです。

当時私は24-5歳、そしてDさんは確か28-9歳ぐらいでした。

最初に気づいた変化は、朝出勤した時に「おはようございます。」と挨拶をした時に、わかりやすく私の挨拶だけ無視をすること。

それまで人に無視をされたことがなかったその時の私はかなり傷つき、落ち込みました。

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その人のすごいところは、編集長や他のスタッフの目の前でも気にせず私を無視すること。そう、みんなに隠しながら私を無視する訳ではないのです。ある意味気持ち良い。(笑)

でもその為、ワンフロアしかない編集部は「わ~、小梅さん、また無視されてるよ~。。」みたいな微妙な雰囲気になるので、当時はいつも編集部のみんなにとても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そしてそれらの態度がわかりやすく変化していくのは、毎月訪れる「締め切り前」。ライターさんやデザイナーさんは制作に追われ、編集部がバタバタとした雰囲気になってくると、目に見えてDさんの私への対応は悪くなっていきます。

でぃ、Dさんの声をかけるなオーラが見える。。

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クライアントさんに依頼された広告のデザイン内容を繋ぐ為にラフを見せながら話しかける私を、作業の手を止めずに横目でチェック。私の説明に相槌をうってくれる時は機嫌の良い時。悪い時は相槌なし。

私はできるだけDさんに良いであろうタイミングを図り、声をかけるようになりました。

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でもすごかったのは、それでもでき上がってくるデザインは私が伝えた通りだったこと。仕事をしてくれるんなら良い!と何とか割り切れるよう気持ちを整えたものです。

更に本当に恐ろしかったのは、広告変更の締切日を越えてクライアントさんが広告の変更を依頼してくること、そして修正したものを更に全く違うデザインにしてくれという無理難題をふっかけてくる時です。

その時の私の心労たるや計り知れず、今この文章を書いている時ですら、その時のことを思い出して胃の下が暗く重たくなるほどです。。(笑)

解決の糸口を探す毎日

でもやはり無視がきつくなってきた私は、何とかDさんと普通に話ができるようにならないかと思い悩んでいました。私が嫌いでも、お互いにプロフェッショナル同士、しっかりと話をしながら仕事はできないものか。。

編集長もその光景を分かりやすく目の当たりにしていたので、時折間に入り相談にのってくれました。

私は編集長に「何が原因か分かりますか?原因があるならそれを直したいんです。」と話すと、「本人はハッキリ言ってくれないけど、たぶん小梅がお客さんや代理店の社長さんから可愛がられているのが嫌なんじゃないかな?食事なんかも誘ってもらってるじゃない??」とのこと。

で、でもそれが私の仕事なのに。。

自流の営業方法が人との信頼関係を構築して行なうものだった私は、その原因が改善しようのないものだったので、私はそういう内容の電話を編集部でしないという対策を取りました。

また後輩は「小梅さん、編集部の女性たちの会話に加わりませんよね?ランチとか一緒に食べてみたらどうですか??」とアドバイスをくれました。

確かに、編集部の女性たちは朝会社につくと、昨日見たテレビ番組やドラマ、すきな芸能人の話をして盛り上がっています。私はあまりにも興味がなかったので、特に会話には入らなかったのです。確かにこれは要改善かも。。

更にランチは、編集部の女の子は基本お弁当を持ってきて編集部で仲良く3人で食べている中、私は外回りか、もしくは編集長や後輩と外に食べに行くため、仕事以外での会話の接点がなかった訳です。

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よし!と一念発起した私は、ランチを手作り弁当に変え、編集部に居る時はそのランチ会に入れてもらうことにしました。

しかし、私が入ることによってDさんのテンションが目に見えてダダ下がり。話もしなくなる為他の他の2人に迷惑がかかることに。。これはだめだと作戦変更。

更に後輩が新たに「小梅さんがDさんに声をかける時って仕事の要件ばっかりですよね。ライターさんがDさんに声をかける時って、前置きかなり長く話しかけてますよ。それやってみたらどうですか?」とアドバイス。

無視する人にどうやって話題を振りながら話しかければいいんだろう。。女性が喜ぶ話題もわからないのに。。。

今の私であれば、きっと上手く仕事ができるぐらいまでには改善できたはずですが、当時の私は人生経験が少な過ぎました。

更にそれまで女性と仲がこじれたことがなかったので、改善方法がわからずネガティブのループに陥っていきました。

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まずは、Dさんに話しかけるのがこわくなり、新規の広告を取るモチベーションが下がっていきました。できるだけDさんと接点を持ちたくなくなってきたからです。

次に、締め切り前になると高熱と腕に蕁麻疹が出るようになりました。

そして最後には胃を痛め、胃潰瘍まではいかなかったですが、胃から出血するようになりました。ストレス症状のオンパレードという訳です。(笑)

その頃、姉が定期的に体調を崩す私に気づき、話を聞いてくれたのでやっとそのことを家族に打ち明けることができました。

姉は「それは編集長が間に入っとうけん相手の気持ちがわからんっちゃないと?直接話して聞いてみたら??」とアドバイス。

Dさんに直接聞く。こわ過ぎる。。
でも確かにお姉ちゃんの言うとおりだ。やるしかない!

私は勇気を振り絞り、Dさんにメールを送りました。かなり緊張してタイトルと本文を熟考したのを覚えています。内容は「お時間のある際に、お茶かお食事か行きませんか?」というのをかなり丁寧にした感じです。

返事がくるまでの時間の緊張具合と言ったら言葉になりません。
着信音がなり「お姉ちゃん!返事がきたっ!!」とメールを開きます。

当時はドコモのiモード時代。タイトルと本文部分がわかれていましたよね?
なんと、Dさんは文字数の限られたタイトル部分のみを使い一言

「なんでですか?」

という7文字の返事を送ってくれました。

「お姉ちゃん!タイトルだけで返信がきたよー!!(泣)」と言うと、「小梅、負けるなっ!」と叱咤激励され再度「今まで編集長に間に入っていただいていましたが、直接Dさんと話がしたいなと思っています。」のようなことを返信。

そしてやっと仕事の始まる前の時間で、カフェにて待ち合わせをすることを約束できました。

その当日。オーダーを終えて飲み物を受け取った私達は向かい合って座り、私は意を決して「今まで編集長に間に入っていただいていましたが、もし私に何か言いたい事があれば直したいと思っているので、遠慮なく言っていただけませんか?」と聞いてみました。

するとDさんは目も合わせずに「特にありません。」とコーヒーを一口。

ど、どうしよう。答えてくれない。。

後輩の言葉がグルグル頭の中を回り、そうだ!と閃いたのは編集部の女性ランチに加わっていた時に聞いたDさんが土鍋でご飯を炊いているという話。

そこで「Dさん、お米を土鍋で炊いているんですよね?大変じゃないんですか?」と聞くと、Dさんの表情がフッと和らぎ、「そんなに大変じゃないよ。朝お米を水につけておいて帰って炊けばいいんだから。炊飯ジャーより美味しく炊けるよ。」と答えてくれました。

なんだか良い感じになってきた!

続けて私は「手作りのお弁当を作っている時は、おかずで困りました。。冷凍のおかずで入れるだけのものとか活用しないと、一人暮らしの場合同じもの続きで飽きますよね。。」と振ると、「週末とかに一気に作って小分けにしておけばいいんだよ。それを何種類か冷凍しておけばお弁当にもバリエーションができるから。」という感じに会話が進んでいきました。

その後程なくして就業時間になり、2人でオフィスに入りましたが、なんとその月の締め切り前の時のDさんの対応が見違える程改善し、無視もなくなりました。

やった!その事をすぐに姉や編集長にも報告。2人ともとても喜んでくれました。

これで一緒に良い仕事ができる!!と意気込んでいた私ですが、その奇跡はその月の1回しか起こらず、次の月にはDさんがまた同じ状態に。。

一度良くなったものがまた悪くなると更にかなりの衝撃です。

打つ手をなくした私は更に落ち込んでいき、新規の広告を取りたくない営業なんて編集部に必要ない。そう考えた私は会社を辞めることを決意。

よ~し明日編集長に言おう。と思ったその日、なぜか編集長は私を食事やドライブに連れ出して話を聞いてくれました。どちらも私が本気でやめようと思った前日の2回とも。そして手を打つからと約束をしてくれました。

最終的に限界を迎えていた私に編集長が施してくれた措置は、私が取ってくる広告の制作を別のデザイナーに変えるというものでした。よって私がDさんと直接する機会がなくなった訳です。

その後Dさんと話す必要のなくなった私は、締め切り前に出ていた全ての症状がすっかり改善し、私は仕事に邁進できるようになりました。Dさんも直接仕事をしなくなったことで気持ちが楽になったのか、特に分かりやすく冷たく接される様なことも少なくなりました。

無理をせず、人との程よい距離感を知る

世の中には「相性の悪い人」というのが必ずいます。

職場、ご近所さん、クラスメイト等など、いろんな場面で遭遇することでしょう。

私がこの経験で学んだことは『相性の悪い人と無理やり合わせることは良いことではない』ということです。

人にはそれぞれ過ごしていて心地良い人とその距離感があり、それは人それぞれ違います。きっとDさんも私と仕事をすることが辛かったのかもしれません。

もちろん、どうしても接さなくてはならない状況になる場合もありますが、一度はフィルターを外してお互いに良くなる方法を模索して、試して、それでもだめなら適切な距離を置くのが双方に一番良い状態となります。

母はこの時私に「心や身体を壊してまでがんばり過ぎる必要はないとよ。」と話してくれました。

無駄に近づいてお互いの効率を落としたり、心や身体を痛めたりして関係を無理やり築く必要はないのです。

結局私はなぜDさんに嫌われているかは最後まで知ることはできませんでしたが、この時嫌われることで自分の日頃の行ないや言動にかなり注意するようになり、自分に向き合うことができました。

38年生きてきて、たった1回のわかりやすい「人間関係」問題。

でもきっと人生の中で、Dさんのように分かりやすく私に直接その態度を見せず、離れて行った人たちもいたのかもしれません。だからこそ、この時にしっかりと自分に向き合えたのは本当に良い経験でした。

そう、合わない人は合わないものなんです。(笑)
でもそれでも、お互いに良い関係と距離感は築けます。

「人間関係」に悩む全ての人へ。

我慢をせずに人に相談してください。でも相談する人は選ぶこと。

自分の中でやれるだけやったと思ったら無理しないこと。でもその機会を活かして自分と向き合い、一度だけでも関係改善に挑戦すると、それはあなたのその後の糧となります。

全ての人に好かれる人はいません。そのためにあなたの良さを封じ込める生き方を選ばないでくださいね。

小梅

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小梅 koume
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