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恋とピアノと私 #1

ピアノを習い始めたのは小学校に上がる少し前だから6歳の頃で、

「あなたがやりたいって言ったから連れていってあげたんだけど?」

母は恩着せがましくそんなふうに言うが、当の本人はまったく覚えていない。記憶の片隅にもない。

はて、そんなことをわたしが自発的に言うだろうか? 疑問が残る。でも母が言うのならそうなのだろう。

音楽に縁のある家庭ではなかった。

母がピアノの先生だとか、親戚に音楽家がいるとか、そんなお洒落な事情はない。農村出身の両親は、ピアノやその他の楽器、あるいは歌なども含めて音楽の素養は皆無だ。人生で触った楽器は学校のリコーダーとかそれくらいのものだと思う。楽譜だってろくに読めやしない。

そんな家にあって、自ら「ピアノをやりたい」と言ったなら、どうせ幼稚園の先生が弾いているのを見てあこがれたとか、そんな陳腐な話だ、たぶん。鍵盤ハーモニカに触る機会もあったろうから、そちらがきっかけかもしれない。

「あなた、幼稚園の先生のこと大好きだったもんね」

「……へぇ」

言いつつ、頬をかく。

それはうっすらだが覚えている。若くてかわいい先生がいたのだ。それこそ二十歳をいくらも超えていなかったはず。

ませガキだ。



家から歩いて5分の距離に、個人宅で教室をされているピアノの先生がいた。ご近所さんで、当然顔見知りでもあった。だからこそ、母もそれほど気兼ねなく通わせる気になったのではないか。

ある日の夕方、母と一緒に出かけていった。手を引かれながらおずおずと歩く子どもが目に浮かぶ。ちょっと人見知りの傾向があった。

ピアノの先生は、うちの母と同年代の女の人。ウェーブのかかった豊かな黒髪、ロングスカート、そしてちょっと濃い目の化粧が、今思えば、実に音楽家然とした先生だった。

教室用にあつらえられた部屋には、グランドピアノが1台、アップライトのピアノが2台置かれていて、本棚には大量の楽譜やCDが整然と並んでいた。壁際にソファ。そこに母と座る。ローテーブルには小さな観葉植物が置かれ、窓から夕日が斜めに差し込んでほのかに照らす。

木材、金属。それに本。いろんな匂いの混じり合った、音楽室特有のあの独特の芳香を、自分は緊張とともに嗅いだ。

「じゃあ、弾いてみようか」

最初はそんなふうに案内されて、初めての鍵盤に触ったはずだ。足のつかない椅子に座って、冷たい鍵盤をそっとなでる。

少年は、52の白鍵と36の黒鍵、そして五線譜に出会う。神秘的なモノクロの世界だ。

これがド。ここがド。ピアニカと同じよ。ドを鳴らす。右手、それから左手の親指で叩く。人差し指で弾く。初めてでも、不器用でも、ピアノは叩けば音が鳴る。

ポーンと長く、ポツポツと短く。部屋をドの波が満たす。続いてレ。ミ。

先生は優しい方だった。よく褒めてくれた。

お世辞だとしても、そういうのは本当に、心の礎になる。



小学校に上がってからはひとりで教室に通うようになった。自宅には本物のピアノもやってきた。

30分のレッスン。どう思って通っていたのか。覚えていない。つまらなかったとか、つらかったという記憶はないから、それなりに楽しんで通っていたのだと思う。

バイエルからブルグミュラー、ツェルニー。

練習曲を経て、しだいに名の知れた作曲家の有名な曲を弾けるようになると、ピアノは、音楽は、その深遠でカラフルな世界の一端を見せ始めた。

しだいに音符が密になり、黒さの度合いを増していく楽譜。見るからに難しそうな楽曲に、はじめこそ「げ」と怖気づくけれど、ひとつひとつ丁寧に追っていけば、必ず自分に寄り添ってきてくれると知ったから、練習にも身が入った。

うまく弾けると楽しかったし、褒められたらうれしかった。

上達のスピードが早かったのか遅かったのか。人と比べてどうだったのかは分からない。ピアノの天才少年になるようなこともなかった。

でも、先生からの宿題に真摯に向き合い、一定の時間練習し、ときに自分から新しい曲を探すような子どもが、そうそう下手くそだったとも思えない。


じきに、学校での合唱のピアノ伴奏などを任されるようになる。


(続く)