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私の恋愛観について。

その日の講義のリアクションペーパーにて、
好きなタイプの提示を求められた。
私が書いた内容は以下の3つ。

「共感性のある話題を提示してくれる人」
「私と価値観が合う人」
「私より優れている人」

ここで何気なく書いたふわっとした内容が、
その後の私に大きく影響するとは思いもしなかった。


その日の夕方。
一人の友人と散歩している時の話。

丁度恋愛の話になり、
ひょんなことから好きなタイプの話題になった。
そこで彼の放った一言が、私を大きく動かした。


「俺らって格上のことしか好きになれないよな。」


頭の中で、
私が今、人間として好きな人のことを列挙した。

この発言を投げてくれる彼のことも勿論好きだ。
彼との会話がnoteの題材になることも少なくない。
彼からは多くを学ぶし、
インスピレーションが沢山湧いてくる。
あと顔が良い。


他の人も挙げてみる。

私が19歳の誕生日に投稿したnoteにも、
その片鱗が窺える。
特に5人目の彼女とか、14人目の彼とか、15人目の彼女とか。


例外なく、
初恋相手もそれに当てはまる。

最初こそ一目惚れから始まったものの、
彼女は誰にでも優しく、
運動もかなりできて、頭も良い。
典型的な「何でもできる」人だった。


「自分より優れている人」と、
私は深く考えずに書いていた。
でもそれが、私の恋愛観の本質だった。
それと同時に、人間は結局、
誰かを見下さないと生きていけないという現実が襲いかかってきた。
誰に対しても優しいというスタンスを貫いていたはずの私に、
その事実が突きつけられてしまって。

本気で人を好きになれないという、
私が7年間苛まれてきた問題の原因は、
「その誰かをどこかで見下してしまっているから」に違いなかった。
その事実を認めたくはないが、向き合わないと変われない。


その事実を断定すると、
腑に落ちる事象が一つ存在する。

私は割と誰かと遊んだりご飯を食べたりすることが多い。
私だって人を誘うことの一つや二つはある。
関係値がそれなりにあれば、あまり緊張しないが、
「格上」の人を誘う時には、ものすごく緊張する。
実際にそういう人を以前遊びに誘った際に、
「めちゃくちゃ真面目な文章送られてきてびっくりしたよ~笑」と言われた。
ぶっちゃけ誘う時の私はとても緊張していた。


昔、悩んだことがある。
当時、人間として好きだったとある3人のことを挙げた上で、
その3人の共通点を探そうと暗中模索していたことがあった。
色んな特徴を羅列したものの、腑に落ちず。
でもその答えは、明らかにこれだった。
「格上」の人間、つまるところ尊敬に値する人間というところが、
その3人の共通点だということに気づいた。


じゃあ私は何をもって格上だの格下だのの判定を下しているのか。

散歩しながら、また彼は言う。
「まっちゃさん実は底抜けにナルシストだよね。」と。

上記noteの4段落目にあるが、
私はぶっちゃけ自己肯定感が高い寄りの人間である。
自己肯定感が明らかに低いタイミングも勿論あるが、
基本的にはそれなりの自己肯定感を保って生きている。
そうじゃなきゃこんな楽観主義になれていない。

最近は自分の立ち位置をある程度弁えているつもりで、
身の丈に合うか合わないかくらいの自己肯定をしている。
これで立ち位置勘違いしていたらアウトだけど。

それも相まって、
無意識的に人をどこかで線引きをしてしまっている。
ふとした小さなことでも、
きっと私はどこかしらで思うことがあるのだろう。

私が尊敬している人たちは、
何でも完璧にこなす人という傾向が強いかもしれない。
私の初恋相手や、
誕生日のnoteの15人目に据えた人物はまさにそういう人で。
憧れや尊敬という念が、
いつしか「好き」の二文字に形容されていったのかもしれない。
私の追い求める存在、つまるところ理想像。
きっと私は、私が理想とする人間しか好きになれない。
そういうことなのだろう。


歩きながら、
彼は彼が尊敬している人の話を出す。

「この前その尊敬してる子が、バス降りる時運転手さんに
『ありがとうございました~』って言っていてすごいなぁ~ってなったのよね~。」

まさに上記noteに書いてある内容。

私も丁寧な人が好きだし、
裏を返せば杜撰な人を格下に置いてしまうのかもしれない。

本当に些細なことだと思う。
私はその時、
「あーわかる、この前赤信号だけど車来てないからっていって短い横断歩道を渡る人を見て『あぁ……』ってなったのよな~」みたいな話を彼にした。

ぶっちゃけ私も杜撰ではある。
最近片付けたとはいえ部屋は散らかっているし、
疲労にかまけて譲ってくれる車に対して歩いたりしてしまう時もあって、
とても反省ポイントがある。


そういう話をした後、
また彼は私の真核を衝く発言をする。

「やっぱり我々、女子になりたいと思っている節あるよな。」


こいつはどこまで私のことを分かっているのか。

私は定期的に男をやめたくなる。
性同一性障害というわけではない。
でも私は女性に憧れを抱いている。
それと同時に男を嫌いと思っている時も少なからず存在する。

今までその理由をうまく言語化できなかったが、
彼が答えを見つけてくれた。

一般論、
女性は男性より丁寧で視野が広い。
男性は概ね杜撰で、いい加減で、軽くてつまらない。
勿論全ての男性がそれに当てはまるかと言われれば否だが、
ステレオタイプとして想像される男性はそういう傾向が強いと私は思う。

以前、別の友人がこんなことを口にしていた。
「あいつら通りかかった女子見て『あれはないわ~』とか『あの子はありだな』とか言ってるの本当に無理。」

そういうところなのだろうな。
私の想像する男という生き物は、
いつも欲情していて、はしたなくて、がさつで。
元を辿れば私の父がそういう人間だから、
親への反抗心が強くなった結果ともいえるかもしれない。
だからその話を聞いた時にも、私は男をやめたくなった。
繰り返しになるが、男性の全員がこういう人間ではないことは、
重々承知したうえでの発言である。
一括りにするのはよくないが、
「私の想像する男」という括り方にさせてほしい。
不快に思ったなら申し訳ない。


また、私は「かわいい」と言われるのが好き。

上記のnoteで熱く語るほどには好きだったりする。

でもやはり一般的に見ると、
男でかわいいと言われるのが好きなのはおそらく少数派だろう。

それも、
私が一般的な女性に憧れを持っているからだろう。
もちろん、当事者である女性の皆さんは、
私の発言に対して異論を呈すかもしれないが、
少なくとも私の考える普通の女性に、私はどこか憧れている。


「でも我々が好きな格上も、格上のことが好きだろう?」

私が格下を目に留めない人間なのと同様に、
私の好きな格上は、格下な私を目に留めない。
だから、基本的に叶わない。実らない。
私は玉砕した過去も、自ら退いた過去もある。
片想いなんて実る方がレアケースだろう。

じゃあ格下が格上に見てもらうにはどうすればいいのか。

彼は話す。

「この前、能を見る機会があって。
 最初は演者さんが他の人とわいわいしてたのよね。
 でも舞台が始まった瞬間、雰囲気が一変して。
 それにひたすらに尊敬したんだよね。」

つまり、ギャップ。
もっと言うなれば、格下だったものが格上に見られるような強いギャップ。

でも、難しい。
普段強い人間がその人の前では弱みを見せるみたいなギャップとは少し異なる。
ただのゲインロス効果ではない。
弱くて下だと思っていたものが、
強くて上だと思わせるような何か。
しかもゲインロス効果に則れば、それは同じ分野である必要性がある。
難関極まりない。どうしたらよいのか。
今の私が見つけるべき答えの一つ。


私がずっと言ってきた、
「恋愛するなら友情の延長線上がいいな~。」という話。
それはまぎれもなく、
恋愛感情の原点が憧れや尊敬から来ているからだと思う。

自分で言うのもなんだが、
別に私は性欲が強いわけではないし。
プラトニックな恋愛を望んでいるし。
することはハグとキスで打ち止めにしたいし。
それ以上はあまりしたくないし。

誰かに対する憧れや尊敬の果てに、
「好き」という恋愛感情が生まれてくる。
今まで私はその感情が生まれた経験が2回しかない。
もっと言えば、最初の1回が強烈なインパクトを残していったが故に、
そのハードルが著しく高くなってしまっている。
そりゃ恋愛できないわけで。


端的に言えば、
私はまず憧れや尊敬できる人が好きで、
尚且つその人と私の価値観が合っていて、
更に共感性のある話題が提供できることが条件になる。
共感性のある話題は、単に趣味が合うとか、
それこそ価値観が合うからその価値観の話が普段からできるかとか、
そういう話である。
……かなりハードルが高いと我ながら思う。

だから恋愛に関しては半ば諦めている。
不可能だと思う。


散歩をしながら、
こんな話をしてくれた彼には感謝である。
長らく自分でも分かっていなかったことが漸く解明できて、
解決法も見つけられたのは大きな一歩。
彼とはよく散歩をするし、
散歩中は決まってこういう議論だったり価値観の話をしている。
noteという媒体を介したりして価値観の共有をしたりすることこそあれど、
対面でだと彼としかこういう話ができていないから、
他の人とも価値観の話とか軽い議論をしてみたい。

恋愛がしたい欲より、
今は私の周りの人達についてもっと知りたいという欲が強い。
私、まだまだ皆のことを知らないし、
きっと皆も興味深い価値観を持っていると思うから。
Twitterで繋がってくれている皆は、
私のことを沢山知ってくれてついてきてくれるから。
大学で関わってくれている皆は、
心理学部に入った以上、きっと面白い考えや価値観を持っていて、
それに少しでも悩んでいると思っているから。
noteで関わってくれる皆は、
私より興味深い価値観や文章を実際に書いてくれているから。

私が心理学を専攻したのは、
自分自身ですら解明が難しい、
この世で一番難解で興味深い恋愛のことについて色んな知見を得たいという理由が少なからずある。

私が変わるには、
私以外の人のことについてもっと知ることが大切。
その誰かが私が変わる為のヒントを握っている可能性はあるし、
単に人の価値観って面白い。心底興味深い。


ドイツの詩人であるクロプシュトックは、
こんな名言を遺している。

友情と恋愛は一つの根から生えた二本の植物である。
ただ後者は、花を少しばかり多く持っているにすぎない。

クロプシュトック (独)

私の場合、
憧れと尊敬の念が強くなればなるほど、
花が沢山咲くのかなと考える。
その表現、素敵だな。

今の私は、
色んな人の価値観を知りたいし、
私の大好きな人たちに追いつきたい。
再三言っているが、私は変わりたい。
変わる先の未来は、私の大好きな憧れの人たち。
一歩でも、その背中に近づきたい。

ふと思えば、
私は憧れの人を聞かれた時、私の友人ばかりが頭に浮かんでいた。
私のなりたい人間像は、きっとその人たちに違いない。
だからこそ、その人たちのことをもっと知りたいし、
逆に憧れの域にいない人でも、
私がもっとその人のことを知ることができれば、
私とその人との関係性が変わったり、
私がその人に抱くイメージが変わる可能性は大いにある。

だから、
もっと色んな人のことを私は知りたい。
人って面白い生き物だし、
そういう生命体に生まれた以上、存分に使いたい。
人への興味が尽きない。もっと私に色んなものを教えてほしいな。

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