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育った環境、変わりたい私。

親孝行が足りないと言われてしまう文章になってしまうことが予想されるので、
先に謝っておこうと思う。本当に申し訳ない。


我が家の家族構成は、
父、母、私、妹×2である。
つまり私は長男坊ということになる。おいそこの長男長女たちよ。私と肩を組んで歩かないか。

私の両親は極端な人間である。
幼少期、私は過剰に褒められ、過剰に叱られた。
両親にとっても初めての子育てだったのは間違いないし、
私の生きた年齢分がそのまま彼らの子育ての日数になる。
だから、妹たちに比べて私の時は試行錯誤だったと思う。
たまに酔っぱらった父から当時のことを聞くが、
赤子の私に対してかなりアウトな扱いをしていた時があったと聞く。

一方。
褒める時は沢山褒めてくれる人たちでもあった。
でも幼少期のそれはほぼ洗脳に近かった。
親バカなんて語を聞くが、それくらい狂信ではあったと思う。
私も何も考えていない純真無垢な人間だったから、
その褒めを全て本気として、
他者から見ても私は優れていると勘違いして過ごしてしまっていた。
所謂ナルシシズムの発芽。
冗談抜きで、小学生の頃は自分のことを天才だと思っていたし、
顔もいいと思っていた。恥ずかしい話。
これは私も悪いとは思う。素直に全てを受け取りすぎた。
その思念を抱いてしまっていたせいで、
小中と自分の首を絞めてしまった。
なんなら幼少期に植え付けられたものは簡単には外れないので、
たまに自分上げをしてしまうことが今でもある。
そんな自分に心底呆れてしまう。


小学校に入る頃には、父親は私の扱いに慣れていた。
というより子育てに慣れていた。
別に母親が私の扱いに慣れていなかったかといわれると否だとは思う。
それでも母親は怒ると容赦なかった。
平気で私を蹴飛ばしたり、家から追い出したり。
そんな感情的な人間なのに、無駄に頭が切れる人なので、
口論では今でも勝てない。私が弱いのもあるがこれはまた後程。
全て母親の求める答えの通りに返答して、
あとはただ怒りが静まるのを待つばかり。
今の私が自分の意見をあまり出せないのは、正直こういった児童期を歩んできてしまったからだと思う。
もちろん事の発端は私だし、私に非はある。
でもそんなに怒ることか?と思うほど母親は厳しかった。

中学、高校ともなると、
母親の厳しさは少し和らいだ。
じゃあ何故小学生まではそんなに厳しかったのか。
どう考えても私が小学生のうちに諸々のルール、マナー、倫理観、常識、その他等々を身につけさせたかったからだと思う。
少しでも破るとこんなに悪い未来が待っているから、
絶対にするなという植え付けをしたかったのではないかと今の私は考えている。

納得はいく。
それでも行動の一部は虐待の範疇であった。
もちろん私の周りには、私より何倍も酷い仕打ちを受けて育ってきている人間が沢山いる。
私ごときがこんな事情で音を上げていいのかとも思う。
それでも私の価値観に深いものを刻み付けられてしまったので、
ここでは音を上げさせてくれと思う。

今となってはほとんど母親は私を怒らない。
怒られるような単純なことを、19歳にもなればしなくはなる。


私の父親はよく酒を飲む人で。
酒を飲むとダル絡み、大騒ぎ、すぐ泣いたり怒ったり、TPOを弁えない発言をしたり。
本当に厄介な人間だった。妹にセクハラまがいのことをしている時もあって吐きそうだった。
この時ばかりは妹に同情の目を向けた。

近頃、酔ってなくても厄介だなと思う。
以前私は、すぐ怒るような人間が生理的に無理と言った。
父親はそういう人間。

母親とは違って、
私たち子供には手を出さないしあまり怒らない。
問題なのは普段。
例えばニュース番組で、犯罪のニュースが流れる度にただ愚痴を言い、
政治に関してただただ「はよこいつやめろよ!」と言い続け、
或いはスポーツ観戦で、誰かのミスを執拗に叩く。
そういう、心底私が大嫌いな人間像を持っている。
勿論理由のある叩きなら百歩譲るが、
全くそんなことはない。感情任せの怒りしかない。
それが私は本当に本当に嫌だ。

母親が無理だったのは昔のことで、
今はさほど敵意を抱いていない。
父親は逆で、歳をとるにつれて無理になってゆく。
一人でそういった感情表現をするのはまだしも、
皆のいる前、例えば夕食時とかにそれをやられるからたまったものではない。
場の雰囲気は最悪である。
そんなに怒って何になる?と思ってしまう。

「子供が一番大事だ」
「子供が死ぬなら代わりに俺が死ぬ」
というなら、私の前で私のメンタルが削れることをしないでくれ。
私の前で煙草を吸わないでくれ。
結局そうやって子供に良いように見られるような発言をするのも、
全部貴方のエゴだろう。分かっている。
本当に大事と思っているなら、それをやめてくれ。
私は何度も本人にそう伝えたのにな。
今度書くnoteに、そこから発展した私の暴力的な価値観をまた書き記そうと思う。
どうか許してほしい。


そういった両親を持っている私。
両親を見てきたから、私は怒りの感情をほぼ出さない人間になった。
両親を反面教師として、
両親の悪いところを全く持たない人間になってやろうと思った。
両親への反抗心が、今の私を象っている。
それでも勝てない部分は沢山ある。
幼少期からずっと植え付けられてきたものは簡単に取れやしない。
それが、心の底から悔しい。

そんな私には妹が2人いる。
歳の近い妹は、私と真逆に育ってしまった。

歳が近いこともあって、
私と同じように育てられてきたし、
私が怒られている姿を散々見てきているはずだった。
それを嫌だと思っているはずだったし、
実際私が怒られている姿に怯えて無関係な妹が泣いていることすらあった。
私は鮮明に覚えている。

なのに何故、
親と同じことをしてしまっているのか。
帰ってきては常に人間関係の愚痴を言って、
下の妹には常に厳しくあたっている。
どうしてだろう。なんであんなに嫌なはずだった両親の行為と同じことをしているのか。
心底疑問だし、腹立たしい。

父親と妹が常に愚痴を吐き出している状況の何が団欒なのか。
そう思ってしまう。
だから私は基本的に自分の部屋から出ない。
誰にも干渉されない自分の部屋が生きやすくてたまらない。
家族にも絶対干渉されたくない。


そんな環境で、
下の妹が育ってしまった。

下の妹は私と歳が少し離れていて、
私が中学生の時に自我が育ってしまった。
それが本当に悔しい。今一番悔しいことは何かと聞かれてこの話を出せるほど悔しい。

下の妹は、中学生の頃のやんちゃで自暴自棄な私を見て育ってしまった。
もちろん他の家族は先述と変わらない様子でいた。
だから、私たちの悪いところを吸って育っていってしまった。
たまに下の妹を見ると、
昔の私に似ている行動や言動が見てとれるのが本当に辛い。
ごめんなさい。私が悪い。
もっと私が昔から大人で、真面目で、今のような人間だったら、
下の妹の性格も変わっていたかもしれない。ごめん。

まだ下の妹とは仲が良いと私は勝手に思っている
今からどうにか変えられないかなと縋っている。
無理だろうか。私のエゴが出てしまう。悪い癖。


私の生きてきた環境から、
私の持っている性格の原因が暴けないだろうかと、
最近は試行錯誤している。
それが暴けるなら、そこから成長することは不可能ではなくなる。
私はもっと変わりたい。
変わる為の手がかりとして、今回敢えて家族を叩いた。
勿論貰ったものは沢山ある。私が大学に通えているのも偏に家族の協力のおかげではあるし、
勿論感謝はしている。
そりゃ全てが全て嫌いではない。
その人を見た時に嫌いな部分が見えていることが多いだけであって、
私は沢山支援してもらっている。それは分かっている。

心理学を学んでいる以上、
以前のnoteにも書いた通りカウンセラーになる未来は視野に入っている。
なるにはまず自分の理解が必要だし、
自分の理解が出来れば同じような事象への対処だってとれるとみている。
甘いかな。甘いだろうな。

仮にそうならば、
嫌いなところをただ嫌いと思うのはやめるべきだよなと思う。
というかそれをやっている時点で私は父親と同じである。
その情動を周りに発信しているかどうかの違いだけで、五十歩百歩に変わりない。
何故私がそれを嫌いだと思って、
何故彼らはそういう行動をとって、
彼らにはどういう過去背景があって、
どうすれば双方の平和的解決に繋がるのか。
漠然とした感情だけで生きる自分を卒業したい。

多分母親は、
私がこうやって考えていることもお見通しだと思う。
頭が切れる相手と何度も討論していれば、
胸の内だって明け透けだろう。
以前、下の妹を叱っている母親に憤りを覚えて、
今の私にしては珍しく歯向かった。でも全部論破された。
軽くいなされた。頭が上がらない相手である。

他者に対して刺々しい文章を書くのは、
これで最後にしたい。
不快な思いをさせてしまったら申し訳ない。
それではまた。

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