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私の人間関係における価値観について。

気づいたらフォロワー100人超えててびっくり。
ありがとうございます。まっちゃです。

今日は私の価値観について話します。
最近、色んな人との関わりが増えたりしてきて、
改めて自分のことをもっと示していこうという決意と覚悟が出来たのでゆっくりと筆を進めております。

結構ひん曲がっていて、
時にかなり暴力的で、
気に障る部分があるかもしれませんが、
少しでも読むのに嫌気が差したらそこで読むのをストップしてください。

また、本記事をご覧になられる皆様、
特に私とnote以外の場所で深く交流のある皆様は、
この記事においてかなり私への印象が変わってしまう可能性があります。
私はその覚悟で書いておりますが、
もし記事を読んだ後で私に対してネガティブな印象を抱いた時には何も言わずにしれっと関係を断ち切ってください。
お互いにとって、それが一番幸せです。
よろしくお願いいたします。
それでは。


まず、私の好きな人間像の話です。
優しい人とか、面白い人とか、
そういう薄っぺらい回答はいくらでも出来るので色々考えて答えを絞り出しました。

「常識をしっかり蓄えている上で、私の想像のつかないことを思いつく奇抜で面白い人間」

人間的に大きく見た時に、私が一番興味を持つ相手は誰だろうと考えた結果の答えです。
"funny"ではなく、"interesting"の方の"面白さ"を持つ人に私はよく惹かれます。

私の周りの人で例を出します。

その人は同い年の女性で、
たまに会って喋ったり遊んだりするくらいの仲の人です。
その人は、突然家出と銘打って海外に飛んでいって発散したり、
恋愛もまあまあ重い人なのに突然彼氏は何人でもほしい、もっと愛がほしいと言い出したり、
めちゃくちゃに病んだと思えば、その病んだ自分自身を後に芸術作品にしたり、
はたから見たら突飛な人間です。

でも私は、そういう人間に対して漠然とした憧れと尊敬の感情を抱きます。
この人と一緒にいたら、私が普通に生きていく上で身につくことのない価値観が身につくだろうなと思ったり、
逆にこの人なら、私が普段思っていることをもっとあらゆる方向に昇華させられるのでは?という好奇心が湧いてきたりするからです。

私は答えのない問いを追い求めるのが好きです。
それ故、追い求めることに対しての養分を与えてくれそうな奇想天外な存在は私にとって興奮と探究心をもたらしてくれます。


逆に、嫌いな人間像。
ここでは、嫌い = 生理的にしんどくて私のメンタルに関わる という解釈で書いております。

嫌いな人間像は、なんの考えも持ち合わせずすぐ怒り出すというものです。
私は人が怒る姿を見ることがあまり得意ではありません。
見ると私まで傷ついてしまうし、疲れてしまいます。
ハッキリとした理由があって怒ってるのならまだしも、ずーっと気分だけで怒り続けてる人にはちょっとこの先関わっていけないなと思います。

私がかなり荒れやすい界隈に属しているので、
Twitter上ではそういう人を沢山見てきました。
その度に私自身とても苦しくなって、突然失踪したり、アカウントを何度も作り変えたりしていました。

大体、そうやってTwitter上ですぐ怒る人達というのは、
何かの意見が間違っていることに対して過剰に腹を立てて、
その感情が周りの反応によって「正しいもの」であると確立する為の怒り方をしているのだなと感じています。
端的に言えば承認欲求です。

承認欲求に関してはごく自然な感情だと思うのでそこに異論はないですが、
もっといい承認欲求の満たし方を探してほしいなと心底思います。


さて。
ここからは私の価値観について話します。
少し過激な表現も出てくるかもしれません。よろしくお願いいたします。


ある日私は、友人の恋愛相談に乗っていました。
私は淡々と、自身の経験と価値観に基づいて相談に乗っていたつもりでした。
その時に言われた言葉です。

「まっちゃって、どこか冷めてるよね」

私、この人凄いなって思った。
見事にクリティカルヒットした。
心臓にナイフを突き立てられているのに、満面の笑みを浮かべているかのような感覚に陥った。
残酷な言葉なのに、食らった張本人はどこか嬉しくなってしまっている。

私の価値観、
特に恋愛的価値観において、一番特徴的なのがその言葉の通り「冷めている」ということです。
それがどういうことなのか。ゆっくりご説明いたします。

まず私は、
全ての人間関係をほぼ同列に考えています。
知り合いであれ、クラスメイトであれ、友人であれ、親友であれ、恋人であれ。
優先順位なんてそこにはありません。
基本皆一番です。
強いて言うなら、誰かと会っている時はその誰かが一番になって、他の皆が二番タイになることはありますが、それ以外は基本皆同列で一番です。

私は恋愛感情というものが分からないです。
厳密に言えば、初恋の時は持っていました。
今はどこかに置いてきてしまったのか、まるで見当たりません。
別に初恋を今でも拗らせてるわけではないです。
でもそのせいで、恋愛は友情の延長線上にあると私は捉えてしまっています。

ぶっちゃけた話、
恋人だなんていうただのレッテルも、おかしなものだなと思っています。
わざわざ交際なんて銘打って告白だのという手順を踏んで。この儀式は必要か?とも思います。
貴方は友達になりたい人に対して、毎回いちいちそういうくだりを入れているのかと思います。
勿論、実際告白されたらそりゃあ人間たるもの嬉しいものは嬉しいですが、別に形式ばって改まる必要性がないなと私は感じたりしました。

だから、彼氏彼女なんて概念も必要ないと思っています。
そんなルール、大多数がやっているから暗黙の了解でそうしなければならないみたいな風潮になってるに過ぎないですよね。
私と貴方との関係にそんな安っぽい名前は要らないと私は言いたいです。

彼氏彼女のような一番を作るデメリットは、束縛にあります。
私は束縛されるのが大の苦手です。
というより、小さなことでも束縛だと思ってしまうタチです。

これは私の経験談ですが、
数年前にいた彼女が私のことをすごく好きで、
かなり束縛したりあれこれ言ってきていました。正直重いくらい。
ですがその彼女、私にはあれこれ押しつけたくせに自分は堂々浮気しやがったんですよね。

正直浮気されることに関しては全然容認派です。
別に彼女が他の異性と2人でデートして、ハグだのキスだのなんだのしてたって私は構いません。
というより、浮気したいと思った段階で私に毒吐いて適当に縁切って新しい彼氏のところに行ってくれとは思いますが。

なので、今のエピソードの何が問題かって、
その人が他人に押しつけていたものをその人自身が堂々と破っていたことにあります。

おそらく私が拗らせたのはこの辺のエピソードが原因だと思っています。
それ以来、束縛されるのがダメになったというより、些細なことでも束縛と思うようになってしまいました。

嫉妬は束縛だと私は考えます。
嫉妬されるということは、"私が一番なんだから私をもっと大切にしてくれなきゃ嫌"というメッセージの裏返しであると私は思います。
先述の通り、私は人間関係において優劣を作らない人です。
正直苦しいものがあります。

皆さんの好きなキャラクターを思い浮かべてください。
もしくは好きな俳優、女優、芸人、なんなら友人、親友等々。
貴方は彼氏や彼女が出来たとして、その所謂"推し"への愛を全て一瞬で断ち切れますか?

全員が、否と答えます。
断言します。
少なくとも、一番と唯一の履き違えはご法度だろうと私は思います。

私の中の抜きん出ている一番がいないし、
きっとこの先もいないからこそ、
私は誰とどういう関係になろうとも、
Aくんといつも通り散歩していたいし、
Bくんに呼ばれたらいつも通り会いに行くし、
Cさんにご飯誘われたらいつも通り行くし、
Dさんにカラオケ行こうと言われたらいつも通り行くし、
EくんやFさん達何人かで集まろうと言われたらいつも通り集まります。

私にとって、これが普通です。
でも、おそらく皆にとって、これはイレギュラーな人間だと捉えられます。それは重々分かっています。

でも私は、誰の人生においても一番になれないことを分かっていて、
一番に向いていないことを分かっていて、
だからこそ敢えて全員の2〜3番手を取りにいく。
まるでヒール役かのよう。

一番になる重み。
責任、プレッシャー、期待、不安、その他諸々。
それを、たかが一人の小さな人間に抱かれるだけでも、私は苦しくなってしまう。
たらしだと言われたらそこで終わり。それは間違っていない。
でもそう言われてもいいから、私は貴方の二番や三番になりたい。
一番であることの責任やプレッシャーから逃げたい。私にはそんなものを背負えるほどの能力がない。
私を貴方の中の一番に据えてくれる貴方に対して、私は何一つ返せないどころかそれを無下にしてしまう。

人間関係には程よい距離感が必要だと私は考える。
AくんからFさんのことも、特別な存在だと仮定するGさんのことも、自分のこともそれぞれ私は大切にしたい。
AくんからFさんに対しての時間も、Gさんへの時間も、自分への時間も平等に愛したい。
だから、依存されると偏りが生まれてしまって、私が苦しくなってしまう。

平衡感覚を保ち続けていたい。私を慕ってくれる人全員に優劣をつけず同じ量の恩返しをしたい。


少々ヒートアップしすぎたでしょうか。
申し訳ないです。

続けます。
ここからは少し普通の人間関係についても。


私は喧嘩が苦手です。
先述の通り、私は誰かが怒っているのを見るのがかなりしんどいです。
なので私は、話し合いを避ける傾向にあります。
話し合いを避け、この人とは価値観が合わなかったんだなと諦めて黙って縁を切ります。
そういう、薄情とも捉えかねない人間です。

私は大人数も苦手です。
かなり疲れてしまいます。
クラスの打ち上げに参加しなかったなどと言うと、陰キャだノリが悪いだなんだと言われてしまいますが、
仲がいい人達のみで構成された中規模以上の集まりでもしんどいなと思ってしまいます。
多くて5〜6人がせいぜいと言ったところでしょうか。その辺から徐々に苦しくなっていきます。

私は自分の時間が大好きです。
外を一人で歩く時も、自分の世界にどっぷりと入り込む為、
ノイズキャンセリングつきのイヤホンをつけて音楽を流しながら歩いています。
外部からの干渉を出来る限りなくして、自分の時間に浸っていたい人間なのです。
今も、部屋のドアを外から開けられないようにして、布団に寝転んでジムノペディを流しながらゆっくり書いています。至福の時間。

私は人が大好きです。
色んな人が好きです。

例えば。
沢山私の知らない雑学を披露してくれたり、自分の考えを総動員させて少し真剣なディベートを交わせる君。

例えば。
私と趣味や価値観がおそらく似通っていて、沢山のことを抱えながらやりたいこととやるべきことを頑張ってこなしている君。

例えば。
少し臆病なところもあるけど、自分を曲げずにやりたいことを貫こうと必死な君。

例えば。
低くて落ち着く声で、優しくてなんでも出来てしまう憧れの的の君。

例えば。
どこか冷めてるって刺してくれて、誰かと本気で互いの意見をぶつけ合える君。

例えば。
私のことを沢山知ろうとしてくれて、沢山好きになってくれて、沢山褒めてくれる君。

全員、平等に大切だと私は思っています。
今挙げた人以外にも、沢山大切な人はいます。
平等に愛されるのが、嫌に思う人もいると思います。
もっと私を優先してほしい、愛してほしいと言ってくる人もいると思います。
でも私は、全員に同じ分量の愛情を注いでいます。今後もおそらくそうです。
これが私です。私の我儘です。エゴです。
こんなエゴが許されるのならば。


ここまで長らく読んでくださり、
本当にありがとうございました。
かなり私としてもこの話をするのは少し覚悟がいると思い、悩み抜いて書きました。
これで失望されたら仕方ないと思います。これが私です。こんな私でごめんなさい。
それでもこの先私についてきてくれる人に対して、私は全力で恩返ししていきたいと心底思っています。
すっごいたらしみたいな文章で自分でも嫌気が差してきますが、結局そういう人間らしいです私は。辛いね。ではでは〜🍵

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