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喜ぶということ
昔のソウルを聴いている。8月になったとたん、ぱちっと切り替わったこの空気感と気分にぴったりの雰囲気。
久々に午後の一番暑い時間帯に外を歩いたら、太陽が俺、太陽!って主張してた。これぞ8月。近くの神社に挨拶しに行って、セミの大合唱に拍手を送った。境内の木陰は涼しくて誰にも見つかりたくない気分。
もう毎日気分は夏休みなので、ずーっとそわそわしていて、家でじっとしていられない。大体はゆったりとしているわたしが、ほぼ躁状態。あんまり慣れていないから、どうしたらいいのかわからなくなる。衝動みたいなものがやってきて、従う。これがこどもってことかな、と思ったりする。こども時代をこどもらしく過ごした記憶がないので、遅がけにやってきているのだと思う。こどもの衝動を抑えるのに慣れすぎていていつもセーブ感が半端なく、またその衝動に対して少し疎ましく思っていたことを思い出す。そんなにも喜んだら、後からつらくなるからやめときな。みたいなことを言うおとな意識が、自分の中のこどもをいつも制していた。
そういえば、なにかを喜びすぎたり、うれしくて舞い上がったり、一つのことを考え出したら止まらなくなったりしていた。夢見る夢子で〜とか自分を紹介することがあったけれど、ドラマチック夢子さんは結構長い間わたしの中から追いやられていた。
うれしいとき、100%喜んだらどうなるのだろう?ちゃんと喜んであげたら、その瞬間にちゃんと完結するんじゃないかしら?たしかに、喜びすぎた後に何だかとてつもない虚無感みたいな、さみしさみたいなものに襲われていた。こんな風になるくらいなら、そこそこの喜び方をした方がいいんじゃないかって思ったことがある気がする。何かを楽しみにしすぎてそれが終わった後のさみしさがものすごい。それって、すごくこどもらしいことだ。わたしもきっと、ちゃんとこどもだったんだね。
大好きなアマヤドリさんのストレッチ配信が気になりつつこれを書いているので、ここで終える。こどもらしくて、いいね。
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