見出し画像

今更ながら『ビルマの竪琴』

私は、東北の田舎出身です。
親戚も含め、私が知る限りまだ誰もミャンマーには住んだことがありません。
親戚の中でミャンマーに住むことになった人、第一号が私というわけです。
ミャンマーへ引っ越す前に、結婚報告も兼ねて親戚挨拶に行くと、
「ミャンマー?ミャンマーってあの、“ビルマの竪琴”のミャンマー?」
と口々に突っ込まれました。

恥ずかしながら、田舎の親戚ですら知っている『ビルマの竪琴』を、私はそれまで一度も読んだことがありませんでした。

その『ビルマの竪琴』をついに読了したのです。

この小説はあくまでフィクションであり、ミャンマーについて確かな史実に基づいて書かれたわけではない。ということを前提に自分の感想を述べます。

私がこの小説でのミャンマーについての描写で特に共感できた部分は2つです。

2つとも、この小説の登場人物の一人である“水島”という日本人の兵隊が、戦争のためミャンマーに一緒に行った、かつての仲間である隊員たちにあてた手紙の文中にでてくるもの。

1つ目
“われわれが重んじたのは、ただその人が何ができるかという能力ばかりで、その人がどういう人であるか、また、世界に対して人生に対して、どこまでふかい態度をとって生きているか、ということではありませんでした。人間的完成、柔和、忍苦、深さ、聖さ。そうして、ここに救いをえて、ここから人にも救いをわかつ。このことを、私たちはまったく教えられませんでした。”

ここの部分はどっちかというと、日本人に対して同情してしまうというか、、戦時中も戦後も、日本社会はやっぱりその人の人生を重んじてくれるような環境じゃないんだな、ということ。

もちろん、社会のせいにする時代ですらないと思うので、自分で自分の人生を重んじるしかないと私は思うのですが。

2つ目
“このビルマの国の人々はたしかに怠惰であり、遊びずきで、なげやりではありますけれども、みな快活で謙譲で幸福です。いつもにこにこ笑っています。かれらは欲がなくて、心がしずかです。私はこの国の人々のあいだに生きているうちに、しだいに、こういうことが人間として非常に大切なことではないか、と思うようになりました。”

もともと引っ越しが多すぎるゆえにミニマリストに目覚めてから、物欲が少なかった私ですが、ミャンマーに住んでから「ないもんは仕方ない、ないなりに生活しよう。」と割り切り、形に残る物を所有することにさらに価値を感じなくなってきました。

それよりも、いま旦那さんと一緒にいる時間をゆっくり味わおう、とか。いま見てる超絶綺麗な夕焼けの瞬間を堪能しよう、とか。形がない、所有することはできないけど、心がじんわりすることをさらに大切にしたくなりました。

幸せのハードルがどんどん下がり、幸福度が毎日上がってる嘘のようなほんとの話でございます。。

↑いつも幸せをくれる近所の幼子

この本の作者は実はミャンマーに一度も行ったことがないそう。戦後ミャンマーから帰ってきた人たちに話を聞いたり、あの手この手を尽くして自分の小説のイメージを膨らませたらしい。

ということは、私がいまミャンマーでの暮らしの中で感じたり考えたりすることと同じようなことを、戦時中の日本人たちも感じていたのです。

それって逆にすごいな、と単純に思ってしまう。良い悪いは別として、ミャンマーには少なくとも数十年前と変わらないものが今もまだあるということです。

ちょうど最近、旦那さんと冗談交じりに話すのが、「変わらないことでミャンマーの価値が生み出されてるとも言えるよね」
ということ。

マクドナルドもスタバもない、今となってはある意味貴重な国が先進国の背中を追いかけて同じように変わってしまったら何だか悲しいな、と身勝手に感じる私。

↑変わらないでほしいインレー湖の夕景


変化が好きで、住むところも考え方も常に変わってきた私からすると、初めて“変わらないでいてくれてよかったな”と思えた経験でした。

“変わっていくもの”と“変わらないもの”のバランスが絶妙(?)に保たれているこの国(正直に言うと、もう少し変わってもらいたいところもあるけれど笑)で、私は初めて“変わらない日々”を楽しみ味わっているのであります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?