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雨の空港

(今週のテーマ:空港)

夜中の空港は昼間の活気とまではいかないけれど、これから始まるであろう大なり小なりの心踊る”なにか”を感じることができる。

友達同士で旅行の最終計画を練っている人たちやカフェでPCとにらめっこするビジネスマン、ベンチで肩を寄せ合うカップル。

ここをはなれるまでのほんの数時間、みな思いおもいのひとときを過ごす。夜中の空港は昼間のそれとは違い、一人ひとりの旅路を鮮明にイメージすることができた。

まさかこの中に「行きたくない」と切に願っているひとなんて一人もいないだろう。

空港は決まってワクワクする場所だと思っていたし、旅のはじまりはいつまでもあの頃の修学旅行のように、色褪せぬ楽しさがあると信じて止まなかった。

少なくとも涙から始まる旅があるなんて、そのときが来るまで想像すらしなかった。

ろくに相談もしないまま決めてしまった海外赴任を、おそるおそる彼女に伝えた日があった。

「行ってきなよ、後悔のないようにね」

「なんで相談してくれなかったの?」と一言ぐらいきつく言われると思ったが、数秒の沈黙のあと、笑顔をつくりそう返す姿をみて一瞬安堵した。

だけどその笑顔の奥に、隠しきれない寂しさや悲しみが滲み出ているのを、無視することはできなかった。

変わってしまう未来をできる限り遠ざけたかった、なんて言い訳にもならない。ワガママでおくびょうな自分に「馬鹿野郎」以外の言葉は思いつかなかった。

「空港まで見送らせてよ」

着々と出発日が迫る中、ある日彼女がそう言った。だけど照れながらも「そんなのいいよ」と断ってしまった。
このあと後悔することは目に見えていたけれど、自らの意思で最後の一歩を進めるほど強くはなかったし、自分で決めたことをいとも簡単に覆してしまいそうで怖かった。

自らの意思で進まなければいけない場所よりも、勝手に扉が閉まり遠くまで連れていってくれるような。

そんな場所じゃないととてもじゃないけれど、さよならをできる気がしなかったのだ。そんな気持ちを察してなのかわからない。

「じゃあ駅までね」

そう一言ぼくに伝え、ポンと背中を押された。

閉まったドア越しに見えた自分の顔は、相当ひどかった。

決して涙を流すまいとできる限り口を閉ざしていたが、一言口を開いた瞬間、ありとあらゆる感情が目や鼻から流れてきた。

自分では笑顔を作ってるつもりだったけれど、そうじゃないのは顔が見えない自分からでも簡単にわかった。

「ありがとう。元気でね」

ドア越しにそう伝える彼女の頰から小さな涙がこぼれ落ちるのを見た。なんども頷くことしかできず、返した言葉がちゃんと声になったのかも危うかった。

やがて駅が小さくなり、次第に消えて見えなくなった。

幸い夜の遅い時間帯に乗ったからか、空港に向かう電車内に乗っていたのは、ほんの数人の人たちだけ。

崩れた顔が他の乗客に見えないよう、窓にそっと顔を近づける。車窓を流れる雨粒がフィルターとなって、見える夜景が一段と光って見えた。

搭乗時刻の30分前、Sサイズのホットコーヒー片手に、カフェの窓際の席から見える景色をぼーっと眺めていた。

とてもじゃないけれどスマホを開く気にはなれず、片一方のポケットに詰まった、鼻水のついたティッシュをゴミ箱に捨てにいく。

このときの感情をどう表現していいか、適切な言葉が思いつかなかったが、一向に気持ちが落ち着かなかった。

先ほど見かけたビジネスマンが、同じ窓際のすこし前の席に座っていた。

シャツの袖をめくり左手首の腕時計を確認している。おもむろにPCを片付け始めたのを見て、搭乗時刻が間近に迫っていることに気づいた。

どうやら彼と同じ便らしい。グイッと冷めたコーヒーの残りを飲み干し席を立つ。ジャケットを靡かせて歩く彼の後に続いた。

搭乗ゲートに着くと、ちょうど出発する便の列ができていた。つかさず最後尾につき、列の一員となる。

先ほどまで躊躇していたスマホをポケットから取り出し、あーでもないこーでもないと文章を考える。

やたらと長い長文が完成してしまったが、流石にこれを送る気にはなれなかった。それはそっと自分の心の奥にとどめておき、結局さっき声にならなかった二言を送ることにした。

「今までありがとう。いってきます」

送信完了したのを見届け、機内モードをONにする。最初の一歩はとても重かったけれど、確かに今一歩進んだことを実感した。

最後まで読んでくださりありがとうございます。何かしらのお力になれたならとても嬉しいです。